昭憲皇太后は嘉永3年、一条忠香公の第三女としてご誕生になられました。ご幼少の頃より資性ご聡明で仁慈、博愛、謙譲、貞節など尊くも美わしい婦徳のかがみと仰がれておりますが、殊に女子教育のご奨励と博愛、慈善の事業については、きわめて大きな役割をお果たしになりました。お茶の水の東京女子師範学校の設立の際には多額のお手許金を下賜され、また開校式にも行啓されました。
とりわけ日本赤十字社の設立と経営に尽くされ、赤十字国際委員会に寄付された「昭憲皇太后基金(Empress Shoken Fund)」は、赤十字の平時における救護活動の先例となり、いまでも世界各国の赤十字助成のために活用され、今日までその恩恵に浴した国は、170ヶ国におよんでいます。
昭憲皇太后は大正3年4月11日、明治天皇のみあとを追われるごとく崩御され、伏見桃山東陵に埋葬せられました。
生涯に3万首を超える和歌を詠み、その一部が『昭憲皇太后御集』として伝わります。崩御に際しては『ロンドンタイムズ』も高くそれを評価したほどです。
昭憲皇太后の御歌としては、明治9年(1876)2月、東京女子師範学校(現在のお茶の水女子大学)に下賜した「みがかずば玉も鏡もなにかせむ学びの道もかくこそありけれ」(玉も鏡も磨かなければ輝くことがないのと同じように、学業も怠ることなく励むことが大切なのです)は、わが国初の校歌として著名であり、また、華族女学校(現在の学習院女子中等科・高等科)の教育指針を詠んだ「金剛石」「水は器」等も、尋常小学校唱歌として広く歌われました。
昭憲皇太后の博愛と仁慈のご事蹟は、まさに先覚者的な役割を果たされたと申すべきでありましょう。日本赤十字社や慈恵会については、創立の当初からお力をそそがれ、また福田会育児院、岡山孤児院などの養護事業にも、やさしい御手をさしのべられました。