慶応3年(1867)10月、将軍徳川慶喜は大政を奉還し、12月9日には王政復古の大号令が発せられ、幕藩体制に代わる新政府が成立しました。しかしながら開国まもない当時の日本の世情は依然混沌としており、国際的にも多くの問題を抱えておりました。 慶応4年(明治元年)3月14日、明治天皇は京都御所紫宸殿に公卿・諸侯以下百官を集め、維新の基本方針を天地の神々にお誓いになりました。絵には副総裁三條實美が五箇條の御誓文を御神前に奉読する光景が描かれています。明治天皇は白の御引直衣をお召しになり玉座に南面し、御神前に御身体をお向けになっておられます。この日、天皇みずからが国難の先頭に立って伝統あるこの国を護り、世界各国との親交を深めつつ国を隆昌に導こうとするにあたり、国民への協力を求める告諭(宸翰)が、御誓文とあわせて布告されました。
「五箇條の御誓文」意訳(口語文)
- 一、 広く人材を集めて会議を開き議論を行い、大切なことはすべて公正な意見によって決めましょう。
- 一、 身分の上下を問わず、心を一つにして積極的に国を治め整えましょう。
- 一、 文官や武官はいうまでもなく一般の国民も、それぞれ自分の職責を果たし、各自の志すところを達成できるように、人々に希望を失わせないことが肝要です。
- 一、 これまでの悪い習慣をすてて、何ごとも普遍的な道理に基づいて行いましょう。
- 一、 知識を世界に求めて天皇を中心とするうるわしい国柄や伝統を大切にして、大いに国を発展させましょう。
これより、わが国は未だかつてない大変革を行おうとするにあたり、私はみずから天地の神々や祖先に誓い、重大な決意のもとに国政に関するこの基本方針を定め、国民の生活を安定させる大道を確立しようとしているところです。皆さんもこの趣旨に基づいて心を合わせて努力して下さい。
御誓文は以後明治維新の指導精神として、近代国家建設のさまざまな施策に受け継がれましたが、とくに昭和天皇は昭和21年元日の「新日本建設ニ関スル詔書」において、五箇條の御誓文を引用され「叡旨公明正大、又何ヲカ加ヘン。朕ハ茲ニ誓ヲ新ニシテ国運ヲ開カント欲ス」「国民ガ朕ト其ノ心ヲ一ニシテ、自ラ奮ヒ自ラ励マシ、以テ此ノ大業ヲ成就センコトヲ庶幾フ」と、御誓文の精神に立ち返り国づくりに努めるご決意をなされました。
ここには日本の民主主義の基本と、普遍的な理念が示されております。私たちは明治維新の尊い精神を継承し、その心を現代に生かすことが肝要です。