明治天皇は立派な御体格で、剛毅果断であらせられた反面、御仁徳高く博愛の心に富ませられ、またユーモアを解せられたお方であったと伝えられています。
和歌をお好みになり、御一代にお詠みになった御製(ぎょせい=和歌)の数は93,032首に及んでおり、常に国家国民の繁栄と世界の平和を祈念された尊い大御心(おおみごころ)を拝することができます。
これらの御製を拝することによっても、いかに明治天皇が、万世一系の天子としての御自覚をもって、多難な時局に対処し近代国家の建設に邁進あそばされたか、そして明けても暮れても国民の上に御心をおそそぎになったかを、うかがい知ることができます。
また世界平和についての御心は
の御製によっても拝察することができます。尊い御嘆きと申すべきでありましょう。
明治天皇の御生涯を通じての御信条は「誠の心」であられたことは、御在世中の御逸事がこれを物語っています。
一例をあげれば、ロシアのニコライ皇太子を傷害した大津事件も、明治天皇の果断な誠意あふれる御行動によって解決されたと申しても過言ではありません。
とお詠みになり、誠の心こそ、神の御心にも通じるものと仰せられています。
世に「先憂後楽」という言葉がありますが、明治天皇の御生涯はまさにこの一語につきるといえましょう。
明治元年、五箇條の御誓文と同時に発せられた御宸翰(ごしんかん)にも、明治維新への責任と御覚悟をお述べになり、
と仰せられております。日清・日露戦の時、出征の兵士と苦労を共にするとの思召(おぼしめ)しから炎暑の最中でも
冬の軍服をお召しになったという御逸話も広く知られています。
また現在の明治神宮御苑が、明治天皇の皇后に対する優しいお心づかいによって設けられ、明治天皇御自ら設計のお指図までされたのにもかかわらず、政務のお忙しさの余り、完成後もついに一度もお出ましがありませんでした。
の御製を拝するとき、今日の時勢と思い較べて、まことに恐れ多い次第です。
明治時代、わが国の興隆発展は世界の驚異とまでいわれていますが、
これひとえに万機のまつりごとを御親裁遊ばされた明治天皇の御聖徳によることは申すまでもないことです。