ご祖母陛下として
迪宮裕仁親王(みちのみやひろひとしんのう=昭和天皇)、秩父宮雍仁親王(ちちぶのみややすひとしんのう)、高松宮宣仁親王(たかまつのみやのぶひとしんのう)の三皇孫殿下は、皇后を「おばばさま」とお呼びし、たいへんなついておられました。皇后は皇孫方に大きな京人形や動物の模型などの玩具をたびたび賜りましたが、お三方とも「おばばさまからのいただきもの」として大事されました。
沼津御用邸には、中心に御本邸、東西には道を一つ隔てて附属邸が続いており、皇孫方は西附属邸、皇后は御本邸で静養されるのが通例でした。皇孫方のお稽古は東附属邸でおこなわれますが、皇后はたびたびお出ましになり、ご学業の様子や生活ぶりを熱心にご覧になりました。
ある年の沼津御滞在中、皇孫方は、
「おばばさまこちらです」
「おばばさまあちらへ」
と皇后を無理に引きまわされたので、夜になって疲れを感じられたということです。
また、裕仁親王がご自分でお菓子を紙に包み、
「おいしいお菓子でございますから、おばばさまに献上いたします」
と、もみじのようなかわいらしい手で差し上げられました。
「それは親切にどうもありがとう」
と受け取られると、ご満悦の様子でお立ちになり、しばらくお庭遊びを楽しまれていました。
さてお帰りの時刻になり、再び皇后に挨拶されましたが、先ほどのお菓子が目にとまり、きっとお腹が空いたのでしょう、
「おばばさま、これは私がいただいて帰ります」
とおっしゃったので、皇后は思わず声を出してお笑いになったということです。
昭憲皇太后がご晩年に最もお力をそそがれたのは、裕仁親王のご教育でした。明治天皇の大喪儀がおこなわれた大正元年9月13日、乃木大将が自刃に先立って親王に『中朝事実』を献上しましたが、その後、
「乃木がどういう事を申したか一度おばばさまにお聞かせなさい」
とおっしゃると、眼に一ぱいの涙を湛えられて、
「今申し上げると悲しうなりますから、どうぞしばらくお待ちください」
とお答えになったということです。裕仁親王のご教育にお心深くあられたことが、この一事からも伺われます。
【沼津御用邸 西附属邸】
(写真提供:沼津御用邸記念公園)
