忙しい日常の政務
当時宮中では、天皇が朝お目覚めになることを「おひるになる」、就寝なさることを「御格子(みこうし)」といっておりましたが、天皇のお目覚めは普段ですと毎朝6時か7時、御寝所にお入りになるのは夜の11時半頃でありました。
朝お目覚めになりますと、侍医の診察があり、その後で洗面を済まされてお食事をとられます。食後は軍服にお着替えになって奥の御座所から表御座所にお出ましになりますが、その時刻は10時半。宮中ではこれを「出御(しゅつぎょ)」といいます。表御座所では大臣たちの政務上の相談を種々お聞きになり、あるいは各省から届けられた書類に目を通されて、それぞれにご裁断をされるなど、ほとんどご休憩をとられることがありません。そして12時30分に奥の御座所にお入りになります。宮中ではこれを「入御(じゅぎょ)」と申し上げます。
これはごく普通の場合に限られたことで、内閣の交替や、外交・軍事上の重大問題が起こったときなどは、朝出御になって昼食もとられずに午後の3時頃まで表御座所にて政務に就かれ、遅い昼食を済まされて夕刻まで執務なさることもしばしばありました。
政務を執られるのは原則として表御座所におられる間のことですが、奥の御座所におられる夜間でも、上奏があればすぐにご覧になって裁決を下されました。また、特に閣僚などが緊急にお目通りを願うような場合は、お着替えをなさって表御座所にお出ましになったり、状況によっては奥の御座所にお呼びになって相談をお聞きになることもありました。
日露戦争が終結した後、兵士たちに贈る勲記のうち勲三等功五級以上のものはすべて御名を親署されることになっておりましたが、その数は数万にのぼりました。賞勲局から毎日5、60枚づつお手許に届けられましたが、明治天皇は毎晩夕食後に筆を執られ、黙々とご署名になりました。
政務のご多忙は比類なく、先ず神事・祭典を厳粛に奉仕なさり、国内外の人々の謁見があるほか、大臣や外国の要人とのご陪食があります。そして議会の開院式や陸軍の観兵式、学問奨励のための諸学校卒業式などへのご臨席、産業や美術工芸奨励のために各種博覧会・展覧会への出ましなど、お身体を労されることが極めて多く、当時の人々の想像にも及ばない程でした。
【陸軍御軍服(明治神宮所蔵)】