こっそり夜に運動
晩年、天皇はあれほど好まれた乗馬をやめられ、内苑の散策などもされず、ただ御座所(ござしょ)にてひたすら政務に励まれるだけでまったく運動をなさいませんでした。侍医局長であった岡玄卿(おかげんけい)は、運動不足が健康上に悪影響を及ぼしかねないと判断し、宮内大臣とともに参上して朝夕運動されるように進言しました。皇后や典侍もことのほか心配されて、侍医局長の意見をお容れになるようお勧めしましたが、天皇は政務の多忙などを理由にお聞き届けになりませんでした。
そこで侍医局長は、天皇が運動を拒まれるのはご自身の健康のことを充分に理解なさっていないからだと考え、現在のご体調と、運動の必要性を詳しく説明した文書を作成し、天皇の所にお持ちしました。
天皇は、これをお手にとるやいなや、
「こんなものは見るにおよばぬ」
とお言葉も荒々しく、それを侍医局長のほうに投げ返しました。侍医局長は周囲に散らばった文書をそのままにして、一礼して部屋を後にしたのです。
侍医局長が退出すると、天皇は文書を拾い上げられ、机の引き出しにしまわれました。そして毎晩食後に取り出しては、熱心にご覧になっていたということです。このことを伝え聞いた側近の人々はみんなでホッと胸をなでおろして、苦心のかいがあったとよろこび合ったそうです。
その後、天皇は早朝や夜遅くに、女官たちが御座所の付近にいない折を見はからっては、両手の力を抜いてブラブラさせながら部屋中をお歩きになり、こっそりと運動をなさったようです。そんなときに侍従などが御座所にまいりますと、とたんに運動を中止されてそしらぬお顔で机にお着きになりました。
側近たちの努力によって、ようやくご自分の健康のことを気にかけられるようになりました。しかしこれまで侍医局長などの意見をことごとく却下してしまった手前、誰にも気づかれないように運動をなさったのでした。
【御座所内部(宮内庁宮内公文書館所蔵)】