すぐれた記憶力

 

  わがためにこころつくして老人が

       をしへしことはいまも忘れず (明治43年御製)

 

 明治天皇は記憶力がよく、一度聞いたり見たりされたことはお忘れになりませんでした。側近の人々に、

「お前たちはどうしてそんなに忘れるのか」

と注意をなさることがしばしばあったそうで、なかには一々メモに書き留めて忘れないように努めた女官もいました。

 侍従職出仕を長く務めた藪篤麿(やぶあつまろ)が天皇のそばにお仕えしていたとき、

「○○を持って来い」

 と指示されてなかなか見つからずにウロウロしていると、

「まだ見つからぬか、押入の三番目の引き出しの左側にある、よく探して見よ」

とご助言がかかったり、ときには歩み寄ってきて品物のあるところを指さし、

「よく忘れるな、ここにあるではないか。しっかりおぼえておけ」

とお笑いになったりされたこともありました。

 これは、京都に行幸されたときのこと―。夜おやすみになろうとするときに、側近のひとりを呼んで次のように指示なさいました。

「さきほどから静かに聞いていると、どうも庭の流れの水音がこの間とはちがうようだが、流れのつくりでも変えたのではないか、調べて見よ」

 さて翌朝調査してみると、やはり石の配置を変えていたことがわかり、早速もと通りに直させました。天皇が前に京都御所にお泊まりになってからだいぶ歳月がたっておりましたが、ささやかな水の音を記憶なさっていたことに側近のものはおおいに驚いたそうです。

 ふだん好んで召し上がる鮎なども、京都の桂川でとれたものと東京の多摩川のものとでは、はっきりと味の違いを解っておられました。側近の人々と食事をいっしょになさったときに、

「この場で食べて、どちらが桂川か多摩川か、いい当ててみよ」

などとおっしゃることもあったそうです。ちなみに天皇は川魚が好物で、琵琶湖でとれる「ひがい」という魚は天皇がお好みであったので「鰉」という漢字で表されるようになりました。

 また陸軍大学校の卒業式にご臨席になり学生の弁論発表をお聞きになったとき、宮中にお帰りになってから側近の人々を集めて、その内容をはじめから終わりまでスラスラとお話になることもあったようですから、いかに記憶がすぐれておられたかがうかがわれます。

 

【鰉】

すぐれた記憶力