ご嗜好の品
かつて内膳大夫(ないぜんだいぶ)という職を兼ていた伊藤博文は、「皇后はどのようなものを内膳職から差し上げてもお気に召さないとおっしゃることは一度もなく、いつも快く召し上がられた」と、非常に感銘を受けていました。
食事のお好みについては、明治天皇は、どちらかといえば濃厚な味付けをお好みになりましたので、魚もつけ焼きや煮付けで召し上がりましたが、皇后は塩焼きや刺身、からすみといったあっさりしたものをお好みでいらっしゃいました。
食べ物の中で、皇后が最もお好みだったのは興津鯛(おきつだい)の飴煮、白魚、菓子では白隠元(いんげん)豆の餡(あん)が入った「蓬(よも)が島」という名の饅頭(まんじゅう)、果物では盛岡産のりんご、いちご、雲州みかんなどであったそうです。女官たちの間には、昔から日に一度は間食を取る慣例がありましたが、皇后は常日頃規則正しい食生活を心がけられ、間食はほとんどなさいませんでした。
また、宮中ではタラを「ゆかりの月」、鯡(にしん)を「松の月」と呼び、賎(いや)しい魚として忌み嫌う風習がありましたが、国民の一般的な食生活のありさまを知りたいというお気持ちから、あえてその魚を召し上がることがあったそうです。
このほか、煙草がお好きであったようです。とりわけ刻み煙草をお好みになり、紙巻きの方は、明治天皇がお好みになったものと同じものを時折召し上がられたそうです。御料の煙草はたいてい淀橋の専売支局の構内に特別に建築した建物で謹製していました。その建物は、作業室、貯蔵室、消毒室、更衣室、浴室の五室にわかれ、三千余人の職工から選抜された技術のすぐれた男性2名女性4名を選んで従事させました。謹製にあたって、室内の機械を消毒し、従業員は健康診断を受けた後に入浴し浄衣に着替え、細心の注意をはらって従事したといいます。
くゆらししたばこの煙きえたれど
かをりはのこる窓のうちかな
身のためにならずとすれどとにかくに
とりやめがたき煙ぐさかな
など、煙草を題材としたお歌を詠まれています。
貞明皇后は昭和になってから、
「昭憲さまは煙草が本当にお好きで、お出ましの時、お支度が整ったことをお側の者が申し上げると、まず一服されてからお立ちになったものです」
と追憶されています。
【御煙草盆】(明治神宮所蔵)