老いた臣下へのいたわり
老いぬれど國の力とならむ人
すくよかにこそあらまほしけれ
老のさかこえたる人はなかなかに
つかふる道にたゆまざりけり
天皇の近くで働く人々には年齢が70、80を越えた人もずいぶんおりました。側近の人たちは「陛下は老人と子供ばかりお好きだ」と申し上げていたようです。
若い頃から宮中にお勤めしていた人が高齢になり退職をお願いしても、
「まだよい、もっとゆっくり勤めるがよい」
と、おそばに留められて労りのお心をかけられました。いよいよ腰が曲がってお勤めができなくなった人には退職のお許しが出ますが、隠居してからもいろいろと気配りをなさいました。
久我通久(こがみちつね)や中山忠能(ただやす)など、すでに年老いた人々が宮中に参内するときにはことのほか歓迎なさいます。足元のおぼつかない老人が側近のものに手を引かれて御前に姿を現しますと、
「おお! よくまいった」
とニコニコしながらお迎えになります。あたたかいお言葉をかけられて珍しい品物などを賜りますと、高齢の人々もたいへん喜んでお礼を申し上げるのでした。
春の日ざしが暖かくなり、庭のよもぎが微(かす)かに香りを放ち青々として来ると、天皇は若い職員を呼んで、
「よもぎを摘んで団子を作ってはどうか」
とおっしゃったり、また桜の葉をとらせて桜餅を作らせたりなさいました。そして、
「この団子は福羽美静(ふくばよしすず)にあげなさい」
「この桜餅を元田永孚(ながざね)に」
と指示されて側近の人々に賜りました。これも老臣をいたわるお気持ちからなさったことで、こうした指示がある毎に、側近の人々は天皇の優しさにしみじみと感じ入ったということです。
【福羽美静】
出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」 (https://www.ndl.go.jp/portrait/)