天皇のご愛馬

 

  久しくもわがかふ馬の老いゆくが

      をしきは人にかはらざりけり

 

 明治天皇はご在世中に「金華山(きんかさん)」「友鶴(ともづる)」「初来(はつらい)」などをはじめ数多くのご料馬にお乗りになりました。

 「金華山」は明治2年4月に宮城県玉造郡鬼首(おにこうべ)村の高橋長右衛門の厩(うまや)に産まれました。はじめ種馬として磐井県(現在の岩手県南地方)が購入しましたが、明治9年の東北巡幸の時に警官が乗っていた馬が実に素晴らしいということで、検査の後宮中のご料馬に編入されました。 

 この馬は体格はさほど大きくなく毛色もけっして光沢のある美しい馬とはいえませんが、全体の骨格がよく、鋭敏でありながら実に落ち着いていました。陸軍の演習時に大砲の轟音(ごうおん)にも少しも怖がる気配を見せず堂々としていて、またとても利口で、遠くからコツコツと天皇の足音が聞こえると、両耳を立ててお迎えするような姿勢をとった程でした。天皇のお歌に、

 

  癖なきはえがたかりけり牧場より

       すすめしこまの数はあれども

 

とありますが、「金華山」は天皇が「癖のない馬」としてこよなくかわいがられた名馬の一頭であり、明治13年から26年までご料馬としてご用をつとめましたが、明治28年6月、老衰により27歳で死を迎えました。現在、その剥製(はくせい)が明治神宮外苑の聖徳記念絵画館に保存・展示されています。

 

 「友鶴」は明治19年5月に福島県田村郡山根村の本田善蔵の厩に生まれ、明治21年2月に宮内省主馬寮のお買いあげとなった牡馬です。もともと性格の荒々しい馬でしたが、調馬師目賀田雅周(めがたまさちか)等の尽力によって調教され、明治26年の宇都宮における陸軍演習の際に「金華山」に代わる馬としてご料馬となり、以後死ぬまでの11年間、明治天皇は観兵式などの晴れの舞台に、必ずこの馬にお乗りになりました。

 かつて福羽美静はご料馬「友鶴」について、

 

  友鶴と名さへ呼ばれていとたかき

       雲井の庭にいまひかれつつ

 

と、英気溢れる名馬を讃えて詠んでいます。

 

 「初来」は明治30年に宮城県玉造郡温泉村字鳴子の遊佐庄吉の厩に生まれ、後に宮内省のお買い上げとなりました。明治37年11月3日(天長節)における観兵式にお供の大役をつとめ、ご在世中最後のご乗馬となった明治41年の奈良県における陸軍演習の時にも、天皇は「初来」にお乗りになりました。大正11年7月、下総の御料牧場で老衰のため死を迎えますと、その牧場内に埋葬されました。

 

【金華山号(聖徳記念絵画館所蔵)】

天皇のご愛馬