赤十字の平時活動の先駆け

 

 そもそも世界の赤十字事業は、広く人道的な立場から、戦時において敵味方の区別なく、すべての負傷者を救護することを目的としていました。実際、当時の日本赤十字社社則のなかには、「戦時の傷病兵を救護・愛護し」とうたわれており、当初は戦時以外の普段の災害については、ある意味で無関心でした。もちろん欧米の各国でも同じです。

 ところが、明治21年7月25日、福島県の磐梯山(ばんだいさん)が突如大噴火して、死者477名、負傷者54名という大量の犠牲者がでました。これは、明治以降ではきわめて被害の大きい災害でした。このとき昭憲皇太后は日本赤十字社に命じて、救護班を組織して被災地に向かわせ、金銭的にも多額の援助をなさいました。そしてこれを契機に、日本赤十字社では社則に「天災救護施行」の明文を加えました。

 その後も日本赤十字社は、病気の予防や健康推進運動、産科病院の経営など、平時における医療・社会福祉事業を積極的に展開していきますが、この発端を切り開いたのは、まさしく皇后の慈しみの御心であったといえます。大地震や洪水などによって被害にあった地方に対し、必ずご慰問の金品をご下賜になり、国民を勇気づけられた皇后の、国民愛護のご精神は、今日の皇室に連綿と受け継がれています。

 

【磐梯山噴火救護碑】

赤十字の平時活動の先駆け