陸軍予備病院へ行啓

 

  おひにけるいたでもいえてつはものの

       杖もつかぬをみるぞうれしき

 

日清戦争さなかの明治28年3月、皇后は明治天皇が大本営をかまえられた広島にお出ましになり、広島陸軍病院および呉の海軍病院を慰問されました。

これらの病院は開戦後にわかに仮立てしたもので、屋根は茅葺(かやぶき)や板葺(いたぶき)、壁も鋸(のこぎり)引きのままの板で四方を囲った、質素な小屋のような建物でした。このような場所に皇后が行啓されると聞いた関係者は、最初はまことに恐れ多いこととご遠慮申し上げましたが、皇后は、

「患者慰問のために来たのですから、どんなに建物が見苦しくても見舞いに行きます」

とお答えになり、行啓を敢行されたのでした。

 病院の外科手術室では器具をご覧になって、

「手術室がよく完備していて安心しました」

とおっしゃり、ついで各室をご巡覧になりました。

 各病室では重傷患者にいちいち病状をお尋ねになり、お言葉を賜りました。起き上がって皇后を拝そうとする兵士たちには、

「起きるに及ばず。大事にせよ」

とおっしゃり、布団に御手を触れられ、患者に適した布団かどうか確かめられました。患者は皆感涙にむせび、おそばにいる人々も思わず涙を浮かべました。

病状が快復し、歩行に差し支えないまでになった者は、病室を出て廊下に整列して奉迎しましたが、皇后は一同をご覧になって、

「戦地において傷病を得て帰ったけれども、今このように癒えたのを見て、喜ばしいかぎりです。故郷の父母兄弟もきっと喜んでいることでしょう」

とお言葉を賜りました。

患者たちが皇后のご通過後も列を正して敬礼しているの遠くでご覧になると、

「病を重くするおそれがあるから、すぐ安静にさせて下さい」

とのお言葉があったので、これにも一同は感服したということです。

 

 

【聖徳記念絵画館壁画「広島予備病院行啓」】

陸軍予備病院へ行啓