大津事件に際しての思し召し

 

 明治24年5月、来日中のロシア国皇太子ニコライ殿下が滋賀県の大津を観光中、警備の巡査に頭部を斬りつけられるという日本の外交上重大な事件が起こりました。このとき明治天皇がただちに東京からお見舞いに向かわれたことがロシア国の側近たちに好印象を与え、平穏に解決されたことは広く知られています。しかしこのとき、皇后もまたご心中を痛められ、ロシア国の皇后に対し、あるいは皇太子に対して取られたご処置がきわめて迅速かつ適切でしたので、ご誠意が十二分に相手に徹底していたことを見逃してはなりません。

 5月11日午後、ニコライ皇太子遭難の報が伝えられると、明治天皇はその夜皇帝アレキサンドル3世に親電を発して皇太子負傷の事を伝えられ、痛惜の意を表されました。同時に皇后もロシアのマリー皇后に親電を発して悲嘆の意を表されたのでした。これに対してロシアの皇帝皇后はそれぞれに親電で応え、ご厚意に感謝されました。

 皇后は以後も電報で皇太子の傷状治療のさまを随時報じ、母妃をご慰問なさいましたが、このお心遣いはマリー皇后の気持ちを和らげたばかりでなく、ロシア国民の理解を得たのでした。

 ニコライ皇太子に対しては、遭難の翌日、電報で深い憂慮のお気持ちを伝えられました。天皇とともにみずからも治療を受けている京都常磐ホテルにお見舞いされるお気持ちでしたが、京都は各地から慰問の人々でひどく雑踏しており、またニコライ皇太子が神戸に向かわれることが決定した後でもありましたので、明治天皇は、皇居での待機をお命じになりました。 

 皇后のご名代として、小松宮彰仁(あきひと)親王妃頼子殿下が神戸に差遣されることになりました。頼子殿下は三宮式部官夫人をしたがえ、御召艦(おめしかん)に皇太子を訪問し、お見舞いの辞を伝えられました。誠意のこもった皇后のお心遣いに、ニコライ皇太子も大いに感激したのでした。

 

【ロシア皇太子ニコライほか集合写真】

宮内庁宮内公文書館所蔵

 

大津事件に際しての思し召し