水戸藩の事績はまことに感じ入る
明治23年10月、皇后(昭憲皇太后)は天皇と共に水戸に行啓されて維新勤王の発祥地をつぶさにご覧になりました。
かつて明治天皇がこの地に深い関心を寄せられ、徳川光圀以来の修史事業や、斉昭の勤王の志を称えられたことは、明治8年、東京小梅村の徳川昭武邸行幸の折りに、
花ぐはしさくらもあれどこのやどの
代代のこころをわれはとひけり
と詠じられたことからもうかがわれます。今回両陛下は、近衛兵の演習をご覧になるために行幸啓されたのですが、念願の水戸ご訪問は、両陛下にとってひときわ感慨深いことでした。
徳川篤敬(あつよし)をはじめ地元の人々もまた、両陛下のお出ましをたいへん光栄に思い、行在所(あんざいしょ)内の一室に光圀・斉昭をはじめ歴代藩主、幕末維新に殉難した志士たちの遺品を陳列し、また常磐公園(偕楽園)や水戸公園(弘道館所在地)を念入りに清掃してお待ち申し上げました。しかし演習の合間を縫ってのお出ましでしたから、天皇は短い時間に陳列場をご覧になることしかできませんでした。この時、天皇に代わって常磐公園や水戸公園に足を運び、地域の人々との交流を深められたのは、皇后でした。
10月28日、演習ご覧の後に水戸出身の主殿頭(とのものかみ)山口正定の案内により、まず常磐公園内の好文亭(茶室)にお出ましになり、徳川篤敬を召して、
「斉昭の創設するところと聞いているが、庭園の優雅なこと、眺望の絶景なことなど、まことに言葉に尽くせない趣があり、斉昭ありし頃が偲ばれます」
とねんごろなお褒めのお言葉を賜りました。
この日は十五夜で、日が沈むと満月が千波湖(せんばこ)にきれいに映りました。香川皇后宮大夫が「そろそろお帰りを」とうかがいましたが、
「また来ることも難しいことであるから、今少し待たれよ」
とおっしゃり、2時間にわたってゆっくりとご休息になりました。
ついで水戸公園の八卦堂(はっけどう)にお立ち寄りになり、弘道館の建学精神と教育の指針が記された碑をご覧になりました。
「これが、昔天下の士気を鼓舞した碑文か」
とおっしゃり、明かりを執って全文をご覧になり、碑の前後を巡られて、去るに忍びない様子で、
「聖上(おかみ)がこの碑をご覧になれないのが残念です」
と碑の拓本を希望されたということです。
この夜、行在所にお帰りになってから、水戸藩出身の側近である香川皇后宮大夫と山口正定を召し、
「水戸藩代々の事績はまことに感じ入る」
とお話しになり、また水戸藩勤王の儒者・藤田東湖(とうこ)の妻の代わりに甥の健を行在所に召し、
「汝(なんじ)の伯母に会うことを楽しみにしていたが、病気と聞いてまことに残念なことである。つとめて養生するように申し伝えよ」
とお言葉を賜りました。
【弘道館記碑】
(弘道館所蔵)