代々木の里
うつせみの代々木の里はしづかにて
都のほかのここちこそすれ
現在の明治神宮の境内は、かつては南豊島御料地(代々木御料地)といって宮内省が管理していました。このお歌にもありますように都心郊外の閑静な場所でしたが、あるとき天皇から、
「代々木に散歩場をつくるようにせよ」
と、皇后の健康を案じられてその設計をするようご指示がありました。
天皇は御料地の図面をご覧になって、設計についても細かな指図をなさいました。例えば、
「道はなるべくうねうねと曲がったように作るがよい。まっすぐにあるいても運動にならない」
とご助言がありましたので、担当の技師たちは慎重に研究のすえ、ようやく設計図面の許可を得ました。さて、造園に着手すると古井戸(=清正井・きよまさのいど)が見つかり、そのことを天皇に報告しますと、
「水は出るか」
と、澤宣元(さわのぶもと)侍従に質問がありました。侍従が、
「こんこんと湧き出ております」
とお答えしますと、
「それなら流れをつくって、八つ橋を架け、菖蒲などを植えるがよい」
とのご指示があり、新宿御苑などに咲いていたものを少しずつ株分けして、流れのなかに移し植えました。これが今日、明治神宮御苑の花菖蒲として受け継がれ、毎年6月頃を中心に、両陛下にゆかり深い花を咲かせ、苑内に一段と美しさを添えています。
当時はこのあたりから富士山がきれいに見え、皇后にとっては格別優雅な散歩場であられたようで、ご生涯に9回のお出ましがありました。
いつのことか、皇后が池で釣りをなさった時に、赤腹のイモリがかかってお笑いになったことがあり、それをお聞きになった天皇は、
「イモリがいてはせっかく釣りをしても静養にならない。あの池へコイやフナを放しなさい」
と、侍従へ指示をされたそうです。天皇はこのようにきめこまやかなご配慮をもって、皇后のお身体のことを気づかわれたのです。
【明治神宮御苑】