広島大本営
たむろしてよなよな見てし廣島の
月はその夜にかはらざるらむ
明治27、8年の日清戦争の時、天皇は大本営を水陸交通の拠点である広島に移されましたが、このお歌は8ヶ月にもおよぶ広島での生活を回想されたものです。
大本営にあてられた広島第五師団司令部の建物は木造の粗末なもので、2階の一室が御座所でしたが、天皇は3度の食事もそこでなさいましたし、夜には寝室としてお使いになりました。室内には天皇のお座りになる椅子が1つと会議用の椅子が3つ、それにテーブルが1脚と寝台・書棚・屏風が備えられ、装飾品は天長節の日に兵士が献上した造花があるだけでした。
側近の人はあまりにも窮屈なご生活を見るにしのびがたく、ソファー(安楽椅子)でも作ってお部屋に入れようと思い相談にうかがいますと、天皇は、
「戦地にそんなものが備え付けてあるか」
とおっしゃいます。側近のものは返す言葉もなく、ソファーを用意することを差し控えました。
この当時、天皇は朝5時に起床、6時には軍服に着替えられて御座所の椅子にお座りになります。午前9時には軍の会議が始まりますが、必ず定刻に席に着かれました。軍議が済んでも軍服姿のまま夜の10時頃まで御座所にて戦地からの戦況電報を待たれますが、就寝が午前2時頃になることもありました。おやすみになるときはテーブルと椅子をわきに片づけて寝台を用意し、周りを屏風で囲います。屏風の外には侍従が宿直しました。
【聖徳記念絵画館壁画「広島大本営軍務親裁」】