英照皇太后へのご孝心
英照皇太后は青山御所にお住まいでしたが、天皇は皇太后にいつも温かいお心遣いをされ、御所をお訪ねになりますと、晩餐をともにして楽しくお話を交わされました。地方巡幸の時などは、かならずその地方の産物を皇太后へのお土産としてお持ち帰りになりました。また皇太后が能楽を大変お好みであったので、青山御所内に能舞台をお造りになり、舞台開きをご一緒にご覧になられ、たびたび能楽を催されました。
天皇は11月頃におこなわれる陸軍の大演習にお出ましになりましたが、皇太后は気候の寒い頃に風邪でも召されてはとのお心遣いから、ご自分で毛糸のチョッキをこしらえて差し上げました。天皇はいつもそれをご愛用になったため、とうとう破れてしまい、皇太后は再度おつくりになってお渡ししたということです。天皇のお身体を気づかわれ、手間をかけ丹念にチョッキをお編みになった皇太后と、それを大切にいつも身につけられた天皇、親愛の深さを拝察することができます。
明治30年1月10日、英照皇太后の危篤の知らせが天皇に伝えられますと、風邪でご病床にあったにもかかわらず、皇后とご一緒に急いで青山御所に駆けつけられ、お見舞いのお言葉をかけられて、深い悲しみに沈まれながらお別れを告げてお帰りになりました。皇太后が崩御されて、わが国の古例や各国の典礼などを参照して葬儀の次第が定められ、その裁可を天皇よりいただくことになりました。皇室の繁栄と国家の発展に鑑み盛大なご葬儀をと望む声もありましたが、天皇は、
「国難のうちに崩御され、きわめて質素に執り行われた先帝(孝明天皇)のご葬儀より過ぎたことをしては、かえって皇太后の御心にそむくであろう」
とお考えになり、「荘重に執行せよ」と大喪使長官威仁(たけひと)親王にご指示なさったのでした。
【英照皇太后御肖像】
(宮内庁宮内公文書館所蔵)