三畳のお化粧間──赤坂仮皇居の皇后
明治6年に皇居が炎上したため、両陛下は赤坂の仮皇居にお移りになりました。仮皇居はたいへん狭く、皇后がお化粧やお髪上げをなさるお部屋は、わずか三畳敷きの間でしたから、鏡台を据えて女官がお髪上げを奉仕すると、後ろがつかえて物にぶつかってしまうほどでした。
しかし女官が、
「狭くてお髪上げも出来ません」
と申し上げると、皇后は、
「これでどう?」
とおっしゃって、敷物を障子のところにお近づけになり、鏡は取り除かれました。
ここにわがしめしむしろはせまくとも
ひろくたづねむふみのはやしを
このお歌は当時お詠みになったものですが、不幸にも皇居の焼失に見舞われ、住む家が狭く窮屈な思いをしても、心はゆたかに持って広く学問の道に進んでいこうというお志がうかがわれます。
また仮皇居では庭の植込も接近していて、夏になると蝉が群がり、ミンミン、ガチャガチャと鳴き騒ぎました。女官が何か申し上げてもよく聞きとれず、
「もっと近くにきて話せ、蝉が鳴いて聞こえない」
とおっしゃるほどでした。
「しょうがない蝉だこと、みな捕ってしまってやりましょう」
と女官が申し上げると、皇后は、
「やめよやめよ、はかない露の命で、やっと出て来たと思えば死んでしまう。鳴かせてやれ」
と話され、つぎのお歌をお詠みになりました。
ひとごとのしげさきくにはまさりけり
のきばにちかきせみのもろごゑ
「蝉がやかましいのも嫌だけれども、人の噂を聞くより余程あのほうがよい」
と皇后は話されたということです。
さて赤坂仮皇居には田地が数町歩あり、農夫も住み込んでいました。ある年の田植の時、皇后が女官を連れてお出ましになりましたが、にわかに雨が降りだし、女官たちは皇后にお帰りをお勧め申し上げました。すると、
「苗は、雨降りの時に植えるものと聞いている。それに農民は、雨風をいとわず草を取るというではないか。本当の田植えを見ることができて、かえって好都合です。私は雨に降られても一向に構いません」
とおっしゃり、日暮れまでご覧になったそうです。
【明治神宮聖徳記念絵画館壁画「皇后宮田植御覧」】