養蚕事業奖励

 

 いたつきをつめる桑子(くはこ)のまゆごもり

      國のにしきも織りやいづらむ 

 

 皇室の養蚕奨励の始まりは明治4年にさかのぼります。この年3月、皇后は吹上御苑の一部に御養蚕所を設け、群馬県の農家の女性を招き、桑の栽培や、蚕(かいこ)の飼育などをご自身でなさいました。

 御養蚕所で出来上がった繭(まゆ)は、蚕業講習所(現在の東京農工大学)に下賜されました。当時の所長は、

「皇后さまからいただいた繭は、とくに腕の立つ者を選んで厳重に身を清めて紡がせますが、御養蚕所の繭となれば、皆の腕前がずっと違ってきます。ですからすべての繭が皇后陛下のお手飼いの繭だ、つつしんで紡がねばならぬという気構えで精を出すと、立派な成績を得ることができるのです」

と述べています。

 明治6年6月には、群馬県富岡製糸場に行啓されました。この製糸場は大蔵省が製糸事業改良のための模範工場として設置したもので、フランス人ポール・ブリューナの指導の下に、建築材料や製糸機械から小道具類にいたるまでフランスから輸入し、また技師・検査員・医師や女工もフランス人を雇い入れました。明治3年4月に計画に着手し、5年10月に操業を開始、6年6月24日には事業もようやく軌道に乗り、皇后と英照皇太后が行啓されることになりました。

 汽車も開通していない当時、両陛下は御車にお乗りになり5日もかけて、工場までお出ましになりました。製糸場では所長の案内により事細かに製糸の状況をご覧になり、その後プリューナ夫妻にお会いになりました。夫妻は両陛下に手作りのお食事を差し上げ、ご休憩中は音楽を奏でて歓待いたしました。

 またこの時、埼玉県に住む鯨井勘衛(くじらいかんべえ)という人が、多年養蚕業の研究・振興に努力していることをお聞きになり、わざわざ家にお立ち寄りにもなっています。

 こうした皇后の養蚕奨励の思し召しは、ご生涯お変わりありませんでした。 明治36年、大阪で開かれた第5回内国勧業博覧会にお出ましの際には、とくに各府県出品の繭や生糸などを熱心にご覧になり、蚕が繭をつくる様子、あるいは蚕生育の経過を示したものなどには、しばしその傍らに足を留められ、また種々の試験を施した絹糸の出品については、互いに比較されたうえ細密なお尋ねもあったので、関係者は感激ひとしおでした。この後、宮中での養蚕は歴代の皇后に引き継がれ、現在でも皇居吹上の御養蚕所で、皇后陛下がお手づから養蚕産業に励まれています。

 

【明治神宮聖徳記念絵画館壁画「富岡製糸場行啓」】

 

養蚕事業奖励