歌御会始と御講書始
ささげたる歌によりてぞしられける
縣(あがた)の末の民のこころも
新年の歌御会始(うたごかいはじめ)は皇室行事のなかでも国民との関わりが深い行事で、現在も毎年1月中旬に開かれています。歌会の歴史は古く、平安時代の村上天皇の御代にまでさかのぼりますが、現在のように国民が広く詠進して毎年おこなわれるようになったのは明治時代以降のことです。人々のありのままの声を聞きたいという明治天皇のお考えによって、国民参加の歌会始がおこなわれるようになりました。
毎年国民から寄せられる和歌は数万首にのぼりますが、天皇・皇后はこれを一々ご覧になりました。歌道は「敷島の道」と称えられる尊い日本の伝統文化の一つですが、天皇・皇后が国民の詠進歌ひとつひとつを丹念にご覧になることは、明治時代以前にはなかったことです。
歌会の当日、天皇・皇后がお揃いで会場にお出ましになりますと、講師(こうじ)によって入選歌が読み上げられ、朗唱となります。その順序は下位の歌からはじまって高位のものに移っていきます。そして最後に皇后、天皇のお歌となり、皇后のお歌は3回(現在は2回)、天皇のお歌は5回(現在は3回)くりかえして朗唱され、参列者は起立して拝聴いたします。会場には言葉に表せない荘厳な雰囲気が漂うのです。
くりかへしふみ見ざりせば天の下
をさむる道もいかでしらまし
同じく明治時代にはじまった新年の行事に御講書始(ごこうしょはじめ)があります。これは江戸時代に武家の間でおこなわれていた読書始を参考にして始められたもので、 明治天皇の頃には国書・漢書・洋書について約30分ずつ進講することになっていました。国書については福羽美静(よししず)・近藤芳樹(よしき)・高崎正風(まさかぜ)・物集高見(もずめたかみ)・ 本居豊願(もとおりとよかい)等、漢書については元田永学(ながさね)・川田剛・三嶋中洲(ちゅうしゅう)等、洋書では加藤弘之・西村茂樹・細川潤次郎・穂積八束(やつか)等が両陛下の御前で進講いたしました。現在では人文科学・社会科学・自然科学をはじめあらゆる分野の研究者から進講者が選ばれるようになっています。
【聖徳記念絵画館壁画「歌御会始」】