砲弾の雨の中のお見舞い

 これはご成婚前のお話ですが、明治元年の早々戊辰戦争が起こり、京都で新政府軍と旧幕府軍が激しい戦いをくりひろげました。御所の御門は固く閉ざされ、それぞれ警護の武士が詰めておりましたが、正月3日、戦いはにわかに激しくなり、砲弾の飛び交う凄まじい音が、当時の皇后のお住まいであった一條家邸内の女御館(にょごやかた)にも響きわたりました。 

 皇后はひたすら明治天皇のお身体を気遣われて、側近の高倉壽子(としこ)に、

「聖上(おかみ)のご安危はいかがか」

と、たびたび下問されました。そしてついにたまりかねて、明治天皇をお見舞いしようと固く決心され、砲弾の雨の中、ご出門になるとおっしゃいました。きわめて危険なことでしたが、近侍の者も、ご決意の固さに中止をおいさめするすべもなく、鎧(よろい)に身を固め、御板輿(いたこし)を用意して、ご出門をお待ちいたしました。

 皇后は、白羽二重(しろはぶたえ)の御衣の上に青色の表衣を召され、髪を後ろに垂れて凛々しく御板輿にお乗りになり、それを八瀬童子(やせどうじ)が担ぎ、左右に17、8人の武士が守護し、女官は高倉典侍ただ一人お付き添いして一條家より御所に向かわれました。人馬の叫び声があちこちから聞こえ、銃砲は耳をつんざくばかりに激しく響き渡り、警護の武士さえ震えおののき、足のすくむありさまです。しかし皇后は少しも動じられることなく、端然と御所に向かわれました。この雄々しいお姿に、頑固一徹の薩摩武士も思わず御板輿の前に平伏し、厳重に閉ざした門を開いてお通し申し上げました。

 こうして皇后は天皇の御座所へ参入され、親しくお見舞いになったと語り伝えられています。

 

 

【京都御所の紫宸殿】

写真提供:京都御所

砲弾の雨の中のお見舞い