明治天皇と迪宮
甘露寺受長(かんろじおさなが)は『天皇さま』の中で、迪宮裕仁親王(みちのみやひろひとしんのう=昭和天皇)が幼少の頃の逸話のいくつかを紹介しています。
磊落(らいらく)なところもあられる明治さまも、御座所にいらっしゃるときは、お言葉も少なく、あの大きな威厳に満ちたお目でジッとごらんになるので、重臣でさえも小さくなってしまうのだった。
けれども、ひとり迪宮さまだけは例外で、平気で「おじじさま、おじじさま」となついておいでになったそうである。
明治さまも、それだけに、たいそうおいとしくおぼしめしていらしたのだが、そこはご身分がご身分だし、ご気性もああしたお方だけに、ただニコニコしておいでになったと、うけたまわっている。しかし、何かあれば、「これは皇孫へ」とお届けさせになったり、外国へオモチャを注文してお取り寄せになったりされたというから、お心のうちは、目に入れても痛くないほどのおかわいがりかただったこととお察しする。
それを裏づけるような秘話を、鈴木孝子さん(鈴木貫太郎海軍大将夫人で、明治37年から11年間迪宮さまにお付きしていた人)が、語られたことがある。
明治45年の夏、明治さまのご病気がたいへんお悪いというので、迪宮さまは葉山の御用邸からお帰りになり、御所へお見舞いにお上がりになった。そして、お帰りになるとき、廊下でいつになくおむずがりになった。
「どうあそばしたんですか」
と、鈴木さんがたずねると、
「きょうはおじじさまのご対面が短かった」
とおっしゃって、しきりに泣いておいでになった。
いよいよおかくれというときにそなえて、皇孫御殿でも一同はすわって起きていたが、皇孫さま方はおやすみになったほうがいいというので、お床に入っていられた。すると、眠っていらっしゃるとばかりおもっていた迪宮さまが、とつぜん、
「おじじさま」
と、おっしゃった。鈴木さんが、ハッとして、
「どうなすったんですか」
ともうしあげると同時に、廊下のほうにドヤドヤと足音がして、
「皇孫さま、すぐご案内を」
と、お迎えがきた。ちょうどそのときが御臨終だったとおぼしく、「ああ、あれほどおかわいがりになっていらした迪宮さまに、明治さまがお会いにいらしたにちがいない」と、居合わせたものすべて、おもわず声をつまらせたということである。
【甘露寺受長(明治神宮第6代宮司)】
