ロシア国公使婦人をご慰問

 

 明治36年、ロシアは日本の撤兵要求を無視して満州に兵を駐留させました。桂太郎内閣は、話し合いによって衝突を避けようと交渉を続ける一方、万が一に備えて開戦の準備を進めました。

 37年2月4日、ロシアとの交渉をめぐって御前会議が開かれました。明治天皇はあくまで平和な解決を望まれましたが、形勢がもはや交渉の余地のないところまで来ていることが、首相の桂太郎や枢密院(すうみついん)議長伊藤博文らによって説明されると、ついにロシアへの宣戦をご決断になりました。

 2月6日、外務大臣小村寿太郎はロシア国公使ローマン・ローゼンを招き、国交の断絶を告げ、日本からの撤退を要求しました。ローゼン公使は日本の態度と真意を知り、再三ロシア政府に警告書を送りましたが、国交断絶を防ぐことはできませんでした。

 11日、ロシア公使館は閉鎖され、公使一行は翌日横浜よりフランスの郵船ヤーラ号に搭乗して帰国の途に着くことになりました。ついこの間まで親交を深めていた国から引き上げることほど、つらく悲しいことはありません。とくにローゼン公使夫妻は、かつて戦争によってヨーロッパのある駐在国から、罵声を浴び投石される中を撤退した体験があり、日本からの撤退でも国民から同じような仕打ちがあるものと想像し、内心恐れていました。

 しかし事実は想像とまったく異なりました。

 撤退の前日、葉山御用邸で避寒中の皇后は権掌侍北島以登子(いとこ)をロシア国公使館に派遣し、ローゼン夫人に次のようなご伝言を賜りました。

 

  このたび不幸なことに両国の和親が破られることになりました。おおやけの立場で、お別れを惜しむことが出来ないのは遺憾ですが、夫人とは、年来懇親を重ねてきたので、帰国にあたり黙って見送ることはしのびなく思います。使いの者をもって、送別の言葉を伝えます。両国に平和と友好が訪れ、再びお会いできることを心待ちにしています。

 

 ローゼン夫人は、国交が断絶したにもかかわらず、皇后からこのように慈愛のこもったお言葉をいただいたことに感激し、しばらくお返しする言葉もありませんでした。皇后はさらに、ローゼン夫妻をはじめ公使館員一行が東京を発つ当日には、皇后宮職の山内勝明に新橋停車場まで見送らせたのでした。

 

【聖徳記念絵画館壁画「対露宣戦御前会議」】

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