女子師範学校へ行啓
明治8年2月、かねて女子師範学校(現在のお茶の水女子大学)が設立されることをお聞きになっていた皇后は、とくにお手許金5000円を下賜されました。同年11月29日の開校式には、内務卿大久保利通、宮内大輔萬里小路博房(までのこうじひろふさ)以下を従えてご出席になり、次の祝詞を賜りました。
女子教育の根底を培養するための学校が設置されると聞き、喜びにたえませんでした。ここに開業の式を挙げて後、この学校の繁栄によって、必ずや女子教育が全国に普及していくことでありましょう。
また翌9年2月には、つぎのお歌をしたためてご下賜になり、学業を奨励されました。
みがかずば玉も鏡も何かせむ
まなびの道もかくこそありけれ
女子師範学校ではこのお歌を校歌に採用し、皇后のご意志にかなうよう努めたのでした。
10年11月28日には、同校の幼稚園に英照皇太后とともに行啓され、授業の様子や児童の作品をご覧になり、次のお言葉を賜りました。
人の身を保ち智を増すには、幼児教育の在り方が大切です。むろんたいへん難かしいことですが、この園の幼児は、みな身体が健康で、知能がすくすく育まれているように見受けられ、喜ばしいかぎりです。今後このような教育の普及に一層努めれば、人々にかぎりない幸福がもたらされることでしょう。
その後も皇后はしばしば同校に行啓されましたが、その回数は明治45年まで実に11度に及びました。行啓の時には各学級をくまなく巡覧され、ご昼食も学校で召し上がり、まる一日をお費やしになりました。付属小学校をご覧の際には椅子を離れて児童の傍らにお立ちになり、一枚の紙が真っ黒になるまで習字している様子などをつぶさにご覧になりました。そして行啓のつど生徒にはお菓子あるいは筆墨料を、職員にもお菓子料を下賜されました。さらに45年の行啓のとき、職員一同を慰労して金500円を下賜されましたが、学校では「恩賜(おんし)奨学資金」として大切に保存し、女子教育の振興に役立てたのでした。
このような皇后の女子教育に寄せる思し召しは海外でも話題になり、「日本の皇后はふたつの学校を建てられた。華族女学校と女子師範学校である」と伝えたということです。
【聖徳記念絵画館壁画「女子師範学校行啓」】