
【令和7年】
春号
『代々木』は、明治神宮・明治神宮崇敬会が発行する季刊誌です。我が国の美しい伝統精神を未来に伝えるため、昭和35年より刊行をつづけております。明治神宮崇敬会の皆様にお送りしております。
・ 終戦八十年 靖國神社大塚宮司に聴く
・明治神宮と私 佐多 保彦(ブルゴーニュ名誉市民)
・ 大使が見た日本と明治神宮 ブラジル連邦共和国
オタヴィオ・エンヒッケ・ジアス・ガルシア・コルテス 大使閣下
・[明治の気概]柴 五郎 岡田 幹彦(日本政策研究センター主任研究員)
・ 終戦八十年 靖國神社大塚宮司に聴く

明治天皇の思し召しで創建
── 終戦八十年を迎え、さまざまな報道が出てくると思いますが、まずは改めて靖國神社とはどういう神社か、教えていただけますか。
大塚 靖國神社は明治天皇の思し召しで創建された神社です。明治維新当時は西洋の植民地化の嵐の中で、どうしたら独立を保てるか、その意見が国内で割れて戊辰戦争となり、多くの戦歿者が出ました。それまで藩ごとに招魂祭が行われていましたが、これから西洋に伍(ご)していかねばならない環境下、天皇陛下を中心にして新しい形の国をつくる過程で、藩を超えて国家として、国のために亡くなった方をお祀(まつ)りしようと、明治2年に招魂社として創建されました。
いくつかの国内での戦いを経て、・・・(略)
※記事抜粋です。『代々木』をお読みになりたい方は、[崇敬会にご入会下さい]
・明治神宮と私 佐多 保彦(ブルゴーニュ名誉市民)

ブルゴーニュワイン奉納20年を迎えて
なぜ、明治神宮にはワイン樽があるのですか――
南参道を歩いているとよく聞かれる質問です。ワイン樽が設置されたのは平成18年、それから毎年ワインが奉献され、今年はちょうど20年目となります。ワインがお好きだった明治天皇への崇敬の念はもとより、日仏友好と世界の平和を祈って奉献を続けている、フランス・ブルゴーニュ名誉市民の佐多保彦氏にお話を伺いました。
※記事抜粋です。『代々木』をお読みになりたい方は、[崇敬会にご入会下さい]
・ 大使が見た日本と明治神宮 オタヴィオ・エンヒッケ・ジアス・ガルシア・コルテス 大使閣下

世界最大の日系人コミュニティー
──世界最大の日系人コミュニティーを持つブラジル。昭和20年の空襲で焼失した明治神宮の再建にあたって、この日系人も献身的に募金をしてくださいました。明治神宮崇敬会にはブラジル支部も設立され、現地の2世3世とも今なお強い絆が保たれています。移住から110年以上を経る中で、日系人がブラジルにもたらしているものについてお話しください。
1908年(明治41年)、第1回集団渡航移民として781名の日本人が笠戸丸でサンパウロに到着しました。ほぼ地球の反対側に位置する国同士です。到着した当初は主にコーヒー等を・・・(略)
※記事抜粋です。『代々木』をお読みになりたい方は、[崇敬会にご入会下さい]
・[明治の気概]柴 五郎 岡田 幹彦(日本政策研究センター主任研究員)
![・[明治の気概]柴 五郎 岡田 幹彦(日本政策研究センター主任研究員)](./up_img/1740470676-485527_5.jpg)
『北京籠城』平凡社より
日本兵が最も優秀であることは確かだし、ここにいる士官の中では柴中佐が最優秀と見做(みな)されている。日本人の勇気、信頼性、そして明朗さは籠城者(ろうじょうしゃ)一同の賞賛の的となった(イギリス人義勇兵の言葉)。
日露戦争以前、世界にその名を鳴り響かせた人物が二人いる。一人はすでに紹介した、零下50度の極寒期、シベリアを単騎横断した福島安正陸軍中佐。もう一人が明治33年(1900)の義和団(ぎわだん)事件における北京籠城戦で奮戦した柴五郎(しばごろう)陸軍中佐である。
※記事抜粋です。『代々木』をお読みになりたい方は、[崇敬会にご入会下さい]