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【令和6年】

夏号

『代々木』は、明治神宮・明治神宮崇敬会が発行する季刊誌です。我が国の美しい伝統精神を未来に伝えるため、昭和35年より刊行をつづけております。明治神宮崇敬会の皆様にお送りしております。

 [明治神宮崇敬会のお申込み]

 

・ 昭憲皇太后百十年祭 御参拝式

 

昭憲皇太后百十年祭国際シンポジウム受け継がれし明治のドレス」

 

・ 大使が見た日本と明治神宮 カナダ

 イアン・マッケイ大使閣下

 

[明治の気概]大山捨松 岡田幹彦(日本政策研究センター主任研究員)

 

・ 昭憲皇太后百十年祭にあたり御参拝式
・ 昭憲皇太后百十年祭にあたり御参拝式

 

春の嵐の中 傘をお手に御参拝

 

 天皇皇后両陛下、上皇上皇后両陛下、秋篠宮皇嗣同妃両殿下には、昭憲皇太后百十年祭にあたり、4月9日、明治神宮に御参拝遊ばされました。

 強い風雨の中、9日午前9時から御参拝式が大祭式で執り行われ、神社本庁統理・鷹司尚武氏、明治神宮名誉宮司・外山勝志氏、同中島精太郎氏、そして明治神宮責任役員・総代あわせて12人が参列しました。御参拝式では祝詞奏上の後、天皇陛下よりの御幣帛を奉りました。

 

 

※記事抜粋です。『代々木』をお読みになりたい方は、[崇敬会にご入会下さい]

・昭憲皇太后百十年祭国際シンポジウム「受け継がれし明治のドレス」
・昭憲皇太后百十年祭国際シンポジウム「受け継がれし明治のドレス」

 

 昭憲皇太后百十年祭並びに昭憲皇太后大礼服研究修復復元プロジェクトの完了を記念して、国際シンポジウム「受け継がれし明治のドレス」が4月6日、秋篠宮皇嗣妃殿下のご臨席のもと明治神宮会館で開催された。

 久しぶりに大勢の参加者が集っての開催となった本シンポジウムには、全国各地から約650人が、研究修復復元プロジェクトに参画した登壇者とともに、このプロジェクトの意義を再認識する場となった。

 

 

※記事抜粋です。『代々木』をお読みになりたい方は、[崇敬会にご入会下さい]

・ 大使が見た日本と明治神宮 カナダ  イアン・マッケイ大使閣下
・ 大使が見た日本と明治神宮 カナダ   イアン・マッケイ大使閣下

 

 目新しい価値観をそのまま、あるいは日本化して受容する姿とは別に、変わることなく大切にされている「日本」を感じられる場所として、明治神宮はとても貴重な場所だと思います。私もカナダからの客人を連れて行くことがあるのですが、この大都市の真ん中に佇む大きな森と、そこに集う老若男女を問わない日本人の清々しい振る舞い。そんな何気ない平穏な空間での体験が日本の原風景としてゲストの心に残ると確信しています。

私は1980年代、・・・(略)

 

 

※記事抜粋です。『代々木』をお読みになりたい方は、[崇敬会にご入会下さい]

 

・[明治の気概]大山捨松 岡田幹彦(日本政策研究センター主任研究員)
・[明治の気概]大山捨松 岡田幹彦(日本政策研究センター主任研究員)

『鹿鳴館の貴婦人 大山捨松』久野明子著、中公文庫より

 

大山捨松

(皇后陛下〈昭憲皇太后〉の涙の励ましに対して)

私にとっては珠玉のような思い出です。

 

 わが国初の女子留学生の一人が大山捨松(おおやますてまつ)である。明治4年、北海道開拓使は5名の女子をアメリカに派遣した。一番上が15歳、一番下が8歳、みな士族の娘である。

 捨松は旧会津藩家老山川重固(しげかた)の娘で、兄に山川浩(陸軍少将)、山川健次郎(理学博士、東京帝大総長)がいる。11歳の少女を人種、言語、生活習慣等何もかも異なる白人の国に送り出す時、母は悩みに悩み心は揺れ動いた。母は咲子という名を「捨松」に改めた。

「捨てたつもりでアメリカにやるが、・・・(略)

 

 

※記事抜粋です。『代々木』をお読みになりたい方は、[崇敬会にご入会下さい]