【令和4年】
夏号
『代々木』は、明治神宮・明治神宮崇敬会が発行する季刊誌です。我が国の美しい伝統精神を未来に伝えるため、昭和35年より刊行をつづけております。明治神宮崇敬会の皆様にお送りしております。
・明治神宮と私 出光昭介(出光興産名誉会長)
・ 明治神宮と私 今井貞子(渋谷区初台地区町会連合会会長)
光山和德(代々木防犯協会会長)
・赤十字「昭憲皇太后基金」創設百十年記念シンポジウム
代々木の杜で考える平和・人道支援・SDGs
・ [連載]聖蹟を歩く 第46回 打越孝明(明治神宮国際神道文化研究所主任研究員)
・ 明治神宮と私 出光昭介(出光興産名誉会長)
ロシアという国の体質 オイルショックで実感
――新型コロナ感染症によるパンデミックが世界に緊張感を与えましたが、それに加えていま、ウクライナ危機が起きています。
出光 私自身、身をもってロシアの体質というものを実感したことがあります。ある時、叔父で副社長だった出光計助とモスクワに行きました。モスクワは厚い城壁がありましたが、その城壁が取り払われて2本の環状道路になっていました。
外側の道路はたくさんの車が走っておりましたが、内側の道路は2車線ありまして何も通っていないのです。私が案内人に「あの道路は何に使うのか」と尋ねたところ、「あれは・・・
※記事抜粋です。『代々木』をお読みになりたい方は、[崇敬会にご入会下さい]
・ 明治神宮と私 今井貞子(渋谷区初台地区町会連合会会長)、光山和德(代々木防犯協会会長)
スケールメリット活用し、若い人の話も聞いて会員を
――やはり人生儀礼のお参りは氏神様に行かれるのですよね。
光山 そうですね。小学生の頃は、明治神宮へは遊びに行っていました。まだ家が密集していない時代で、米軍のワシントンハイツも残っていました。明治神宮も今のように囲われていませんでしたから、好き勝手に入って、中で1日遊んで帰りました。木に登ったり、いろんなことをしました。
今井 子供の七五三は八幡宮でしたが、明治神宮へはお正月三が日の内に必ず孫や曾孫とお参りするようにしています。今年は4日に伺いましたけれども。
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・赤十字「昭憲皇太后基金」創設百十年記念シンポジウム 代々木の杜で考える平和・人道支援・SDGs
制作:田中友美乃(赤十字ボランティア)
赤十字「昭憲皇太后基金」創設百十年を記念したシンポジウム「代々木の杜で考える平和・人道支援・SDGs」を、4月2日(土)に明治神宮会館で開催した。
戦時救護を主としていた赤十字の活動に、平時の人道支援という概念を世界に先駆けて示して設立された同基金。その歩みをひもとき今後を展望した。
新型コロナウイルス感染症対策として、会場とオンラインのハイブリッドで開催し、合わせて約200名が参加した。
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・ [連載]聖蹟を歩く 第46回 打越孝明(明治神宮国際神道文化研究所主任研究員)
■鶴岡ご滞在
明治14年(1881)9月24日、東京を発ってから57日目、天皇は山形県の鶴岡行在所(あんざいしょ)に到着し、朝暘(ちょうよう)学校や鶴岡公園に行幸しました。
行在所では旧庄内藩主が天皇に拝謁し、鶴岡城跡に開園した鶴岡公園では、旧士族らが剣の実演や馬の訓練を披露しました。戊辰(ぼしん)戦争に際し、旧幕府側に立った庄内藩の軍勢は勇猛果敢に戦い、新政府軍を繰り返し撃破しています。
当初、行幸が予定されていた松ヶ岡開墾場へは、25日、代理として能久(よしひさ)親王が派遣されました。開墾場は、旧藩士ら三千余人が協力して新たに開いた農地で、献上された生糸(きいと)・真綿・繭(まゆ)や開墾場の写真などを添えて、親王から天皇への報告が行われています。
鶴岡行在所となった擬洋風(ぎようふう)建築の旧西田川郡役所(国指定重要文化財)は、・・・
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