【令和3年】
夏号
『代々木』は、明治神宮・明治神宮崇敬会が発行する季刊誌です。
我が国の美しい伝統精神を未来に伝えるため、昭和35年より刊行をつづけております。
明治神宮崇敬会の皆様にお送りしております。
・明治神宮と私 篠弘
・「代々木の杜と都市のはなし」 石川幹子
・[連載]聖蹟を歩く 第42回 打越孝明(明治神宮国際神道文化研究所主任研究員)
・迷い込んだ「豊穣の森」 鵜野光博
・明治神宮と私 篠弘
「明治記念綜合歌会」をご存じでしょうか。
どなたでも入会でき、明治神宮の春秋2回の大祭に合わせて開催される短歌大会に献詠、参加できる会です。
歌壇や結社を超えたこの「綜合歌会」は、日本が敗戦して間もない昭和24年に発足したもの。
発足当時からこの歌会に参加し、現在も常任委員として長く貢献いただいている、歌人で宮内庁御用掛の篠弘氏にお話を伺いました。
※記事抜粋です。『代々木』をお読みになりたい方は、[崇敬会にご入会下さい]
・「代々木の杜と都市のはなし」 石川幹子
これからの千年、社会の財産としての森へ
――先生が境内総合調査委員会で「この調査は時代の期待を担うものになると思う」と言ってくださいました。
その通りになりました。
「はじめの百年、これからの千年。」(鎮座百年祭の発信)が響きました。
「杜からのメッセージ」も的確で、まして、コロナがまん延する時代となりました。
何もない荒野から、百年の歳月を経て、明治神宮の「森」は、社会の財産としての「杜」に成長してきたのだと思います。
今はコロナで三密回避の声が叫ばれ、家にいましょうと言われていますが、家にいるだけでは病人になってしまいます。
三密を回避して、太陽の光の中で呼吸をして、二本の足で歩く、そうした当たり前の健康的な日常というものを享受できるのが森の役割です。
コロナの時代でも、明治神宮に行けば「よかった」と。こんなに困っている世の中で、こんなにみなさんの役に立っているのです。
日本の都市は大きな杜をつくっていかなければなりませんし、その事例が明治神宮です。
東京でできたのですから仙台でも、千葉でもできるでしょう。
百年前もパイオニアでしたが、これからの千年もパイオニア的な存在であるということをもっと広めていかなければなりません。
大きな杜をつくれば、それが次の世代のメッセージになります。
※記事抜粋です。『代々木』をお読みになりたい方は、[崇敬会にご入会下さい]
・[連載]聖蹟を歩く 第42回 打越孝明(明治神宮国際神道文化研究所主任研究員)
■矢立峠
明治14年(1881)9月11日、東京を発ってから44日目、明治天皇は矢立峠(やたてとうげ)を越え、初めて秋田県に入られました。
峠の野立所(のだちしょ)には、扇田(おうぎだ)地区の有志によって建物が新設され、跡地には「明治天皇御駐輦之(ちゅうれんの)地」碑が建てられています。
平成28年(2016)、「矢立自然友之会」による建碑で、大正4年(1915)に建てられたものの水害で失われた元の碑の土台を活用しています。
当初の建碑から百年後の再建であり、聖蹟の記憶を将来に伝えようとする郷土の人々の熱意が感じられる事業です。
天皇が峠にお立ちになる3年前、・・・(略)
※記事抜粋です。『代々木』をお読みになりたい方は、[崇敬会にご入会下さい]
・迷い込んだ「豊穣の森」 鵜野光博
産経新聞で令和2年1月から今年3月まで、「100年の森 明治神宮物語」という連載を書かせていただきました。
明治神宮の誕生に触れた初回の締め文句は、「日本の近代と歩んだこの『豊穣な森』を、これから読み解いていきたい」でした。
森は現実の森だけでなく、明治神宮が包摂する物語を意味します。
61回を数えた連載は、・・・(略)
※記事抜粋です。『代々木』をお読みになりたい方は、[崇敬会にご入会下さい]