【令和2年】
夏号
『代々木』は、明治神宮・明治神宮崇敬会が発行する季刊誌です。我が国の美しい伝統精神を未来に伝えるため、昭和35年より刊行をつづけております。明治神宮崇敬会の皆様にお送りしております。
・「神にささげる」 紫 舟
・ 昭憲皇太后大礼服 研究修復復元プロジェクト モニカ・ベーテ
・「代々木の杜の蚊のはなし」 津田良夫
・ [連載]聖蹟を歩く 第38回 明治14年北海道・秋田・山形巡幸(12) 打越孝明(明治神宮国際神道文化研究所主任研究員)
神にささげる 書家 紫舟
言葉のもつ言霊を、自身の筆を通して、紙にその魂を宿すこと。
それこそが書家として目指すこと。
そのような書家の書からは、
「言葉の恩恵があふれ出す」。
そのように成るために必要なことを常に考えている。
以前は、圧倒的な時間を費やせばそうなれると考えていた。6歳から書のお稽古を始め、
大人になって月450時間仕事に捧げてきた。どんな犠牲もいとわなかった。
だが10年近く継続し、この道を歩んでいても目指す書に到達することは叶わないと気づいた。
※記事抜粋です。『代々木』をお読みになりたい方は、[崇敬会にご入会下さい]
昭憲皇太后大礼服研究修復復元プロジェクト モニカ・ベーテ中世日本研究所所長
「昭憲皇太后大礼服研究修復復元プロジェクト」――これは、昭憲皇太后がお召しになった大礼服の保存を目的に、研究と修復をする企画事業。明治神宮は、尼門跡寺院の研究活動をしている中世日本研究所と公益財団法人文化財保護・芸術研究助成財団と共に、この事業に参画しています。今秋予定されている明治神宮鎮座百年祭記念国際シンポジウムでは、同事業で研究に携わる国内外の専門家に集まっていただき、これまでの研究成果などを発表する予定です。また、明治神宮ミュージアムでもそれらの特別展が開催されます。プロジェクトを通じて、どのようなことが明らかになってきたのでしょうか。特別展の見どころは? モニカ・ベーテ実行委員長(中世日本研究所所長)にお話を伺いました。
「研究」と「修復」は両輪
まずこの大礼服と明治神宮との関係をお話ししますと、少し以前に遡ります。大聖寺門跡には明治44年に昭憲皇太后より下賜された大礼服があります。
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代々木の杜の蚊のはなし 国立感染症研究所客員研究員 津田良夫
明治神宮の杜は百年という長い年月を経て、植生の違いに示されているように、森の内部と林縁がはっきり区別できるこんもりした森に育ちました。そして、「林縁の蚊」だけでなく「森の蚊」のような森を好む生物にも住処を提供するようになったのだろうと考えています。
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聖蹟を歩く(第38回) 明治14年北海道・秋田・山形巡幸(12)
■札幌本道
明治14年(1881)9月2日、北海道を巡幸中の明治天皇は、札幌行在所の豊平館を発ち、函館へ向けて札幌本道を進まれました。開拓使が造成した本道は、札幌を基点として(写真①)函館へ至るわが国初の本格的な西洋式馬車道で、全長は約180キロメートルです。月寒小休所跡(豊平区月寒東1条19丁目2)には「駐輦之所」碑(明治44年建碑)が(写真②)、続く野幌小休所跡には「明治14年御巡幸 御野立所址」碑(明治44年建碑)が遺されています。大曲中央2丁目の北広島市立大曲中学校前です。巡幸時、野幌の人家は一戸のみでした。
■中山久蔵宅にご滞在
天皇は、寒地稲作の祖として知られる島松の中山久蔵宅で昼食を召されました。収穫を控えた稔り豊かな稲田をご覧になり、久蔵によって新築された部屋が行在所となりました。
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