【平成26年】
春号
『代々木』は、明治神宮・明治神宮崇敬会が発行する季刊誌です。
我が国の美しい伝統精神を未来に伝えるため、昭和35年より刊行をつづけております。
明治神宮崇敬会の皆様にお送りしております。
御生家 一條家当主 一條實昭氏に聴く
――明治神宮では、百年祭記念事業としてさまざまな企画を立てておりますが、いまの人たちに知ってもらいたい昭憲皇太后像などございますか。
一條 皇后陛下のお役目というかご活動について、昭憲皇太后が基礎を形作られ、いまに受け継がれているような感じがいたしますね。そういう役割を果たされたように思います。赤十字社ですとか、慈恵医大ですとか、慈善福祉の面で昭憲皇太后のご支援が大きな力となったように感じますので、そうしたご事績をぜひ知ってもらいたいですね。
※記事抜粋です。『代々木』をお読みになりたい方は、崇敬会にご入会下さい
一條 實昭(いちじょう・さねあき)
一條家当主。昭和20年、東京生まれ。中央大学法学部卒業後、アンダーソン・毛利・ラビノウィッツ法律事務所(現・アンダーソン・毛利・友常法律事務所)入所。米国のロースクールに通い、ニューヨークの法律事務所に勤務後、アンダーソン・毛利・友常法律事務所に復帰し、現在、同事務所パートナー。
[特別編]昭憲皇太后の聖蹟を歩く(中)
(東京都港区)看護婦教育発祥の地に建てられた記念碑
①慈恵医院
明治15年(1882)、イギリス留学から帰国した海軍軍医高木兼寛(かねひろ)の主唱により、「有志共立東京病院」が設立されました。貧しい人々の医療を行う施療(せりょう)病院です。皇室より運営基金が下賜され、皇族・華族の婦人などが組織した「婦人慈善会」は、福祉バザーの売上金を寄付するなど病院の運営を支援しています。皇后は慈善会の総裁に就任され、病院名が「東京慈恵医院」と改められました。
明治20年4月、病院の事業を奨励するために、皇后はお言葉を下されました。お言葉では、奈良時代の天平宝字(てんぴょうほうじ)元年(757)、女性の孝謙天皇が施薬院(せやくいん)を設けられたことに言及されています。皇后は、民とともに病苦の心配から逃れ、長命を保つことを念じられた孝謙天皇のご遺志を継ぐことを念願されたのでした。
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打越 孝明(うちこし・たかあき)
昭和35年、茨城県水戸市生まれ。早大大学院に学び、同大学助手や大倉精神文化研究所専任研究員などを経て、現在明治神宮国際神道文化研究所主任研究員および早大非常勤講師を務める。著書に『絵画と聖蹟でたどる明治天皇のご生涯』、共編著に『日本主義的学生思想運動資料集成Ⅰ・Ⅱ』や『大倉邦彦の『感想』―魂を刻んだ随想録―』、論文に「明治天皇崩御と御製 上・下」(『復刊明治聖徳記念学会紀要』25・26)などがある。
鎮座百年記念 第二次明治神宮境内総合調査まとまる 神宮の杜は大きく、豊かに生長 新種や希少性の高い生物も
現在の杜の基礎データが整い、日本学術会議公開シンポジウムを開催
100年後、150年後を想定し、「永遠の杜」をめざして全国からのまごころがこもった献木で造成された明治神宮の杜。鎮座100年に向けて、現在の杜を学術的に調査し、次世代につないでいくため、平成23年8月から始めた「鎮座百年記念 第二次明治神宮境内総合調査」の結果が平成25年9月にまとまった。12月12日にはこれをもとに日本学術会議の公開シンポジウム「明治神宮の森・これまでとこれからの百年」(主催・日本学術会議環境学委員会、共催・第二次明治神宮境内総合調査委員会)が開催され、定員を上回る約420人が参加、明治神宮の杜への関心の高さが窺われた。
現在の境内生物相の基礎データが整ったことで、鎮座100年、さらにその先の100年に向けた杜のあり方について考える一つの土台ができたと言える。
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