【平成27年】
夏号
『代々木』は、明治神宮・明治神宮崇敬会が発行する季刊誌です。
我が国の美しい伝統精神を未来に伝えるため、昭和35年より刊行をつづけております。
明治神宮崇敬会の皆様にお送りしております。
戦後七十年にあたり、天皇皇后両陛下 パラオ行幸啓
天皇皇后両陛下には、戦後70年にあたり、戦争によって亡くなられた人々を慰霊し、平和を祈念されるため、4月8・9日、先の大戦の激戦地だったパラオ共和国に行幸啓された。
〔中略〕
天皇皇后両陛下のパラオご訪問にあわせて「日本会議パラオ慰霊奉迎団」(団長・長曽我部延昭氏、45人、4月5日~10日)が結成され、明治神宮は神職3人と巫女2人を派遣し、7日にペリリュー島で「西太平洋方面戦歿者慰霊祭」を靖國神社の神職と共に奉仕、8・9日は両陛下を各地で奉送迎した。
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明治神宮と私
岩沙弘道(明治神宮総代・三井不動産株式会社会長)
日本橋と明治神宮の森をつなぎたい
古来、神社は地域社会の心のよりどころとして、また交流の場としての役割を果たしてきた。東京・日本橋の再開発に地元の古社・福徳神社の再興が盛り込まれ、昨年10月に遷座。以来、参拝者が絶えない。神社再興を地元とともに主導したのは、明治神宮総代で三井不動産株式会社会長の岩沙弘道氏。日本橋川を清流に戻し、東京湾からの風の道を明治神宮の森までつなげ、江戸時代のように夏でも富士山が見られる街にしたい――と夢を語った。
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岩沙 弘道(いわさ・ひろみち)
昭和17年、愛知県出身。慶應義塾大学法学部卒業、同大学法学研究科修了後、昭和42年、三井不動産株式会社に入社。平成七年、取締役となり、同10年、代表取締役社長、同23年に現職となる。
鎮座百年記念第二次明治神宮境内総合調査委員に聴く 代々木の杜の土の中のはなし
横浜国立大学名誉教授 青木淳一
土壌動物は森の掃除屋さん
土壌動物と言ってもよくわからないかもしれません。落葉を分解して土に戻してくれる微生物などは皆さんよくご存じだけれど、大型の土壌動物の方はせいぜいミミズやアリくらいでしょうか、頭に浮かぶものは。実際にはワラジムシとかダンゴムシ、ムカデ、ヤスデ、それからカニムシとかトビムシとか、ひじょうに多くの動物がいます。1つの分類群ではなくて、いくつもの動物群にまたがっていて、精密な調査をしようとすると、40人くらいの専門家を集めなくてはできません。
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青木 淳一(あおき・じゅんいち)
昭和10年、京都生まれ。東京大学大学院生物系研究科博士課程修了。国立科学博物館動物研究部研究官、横浜国立大学環境科学研究センター教授を経て、神奈川県立生命の星・地球博物館館長を務めた。
聖蹟を歩く 第18回 明治13年甲州・東山道巡幸(2)
(大月市)明治天皇の聖蹟となった笹子峠には、「明治天皇御野立所跡」碑が遺されている
笹子峠
山梨県を巡幸中の明治天皇は、明治13年(1880)6月19日早朝、黒野田宿(大月市)の笹(ささ)子(ご)行(あん)在(ざい)所(しょ)(天野宅)を発ち、甲州街道の難所として名高い笹子峠を目指されました。
<中略>
笹子隧(ずい)道(どう)(昭和13年開通)の右手を登る山道が甲州街道です。天皇が峠上に到達されたとき、雲や霧がにわかに姿を消して太陽の光が降り注いだといいます(『明治天皇紀』)。 峠上から少し下った古茶屋(甘酒茶屋)の野立所で、再び天皇は休憩されました。
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打越 孝明(うちこし・たかあき)
昭和35年、茨城県水戸市生まれ。早稲田大学大学院文学研究科修士課程を修了後、同大学助手などを経て、大倉精神文化研究所に専任研究員として勤務。平成21年より現職。大倉精神文化研究所の客員研究員を兼務。著書に『絵画と聖蹟でたどる-明治天皇のご生涯』((KADOKAWA中経出版)、『御歌とみあとでたどる 明治天皇の皇后 昭憲皇太后のご生涯』(同)、共編著に『日本主義的学生思想運動資料集成Ⅰ・Ⅱ』(柏書房)などがある。