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【平成24年】

新年号

『代々木』は、明治神宮・明治神宮崇敬会が発行する季刊誌です。

我が国の美しい伝統精神を未来に伝えるため、昭和35年より刊行をつづけております。

明治神宮崇敬会の皆様にお送りしております。

 

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明治天皇乃木希典百年祭記念対談 「御祭神に斎きまつりて」
明治天皇乃木希典百年祭記念対談 「御祭神に斎きまつりて」

《対談》中島精太郎(明治神宮宮司) × 高山亨(乃木神社宮司)

中島 明治天皇と乃木希典、これが天皇と臣下の関係、そして明治の心を象徴しているものだと思います。

高山 名君に対して臣が臣たりえた時代だったと思います。すべて、明治天皇がいらしてこその奮励努力だったわけです。

 

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高山 亨(たかやま・とおる)

昭和21年、神奈川県出身。同45年、皇學館大学国史学科卒、同年神社本庁に勤め、教学部や調査部兼教学研究室勤務を経て、同47年乃木神社権禰宜、同57年同神社禰宜、同60年宮司となる。

明治神宮と私
明治神宮と私

堤 公長(披講会会長)

今ではピアノも機械が弾けます。もしも、機械が披講したら……正確に披講するかもしれません。聞いている人はそれが正しい歌だと思うかもしれません。しかし、それ以上のものをどのようにして披講をしてゆけばよいか。非常に難しい時代になっています。

また、「間」が大切なのですが、現代の人にとっては、昔通りのことをやっていると、「間が空きすぎている」と思われるかもしれません。その場、そのときにふさわしいあり方、というものもあるのかもしれません。もちろん、決して変えてはいけないものもございます。

 

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堤 公長(つつみ・きみなが)

昭和25年、東京生まれ。同48年、玉川大学卒業後、宮内庁掌典を拝命。平成23年7月、披講会会長に就任。

明治神宮と私
明治神宮と私

兼高 かおる(ジャーナリスト)

明治神宮のすばらしさは、東京のど真ん中にある、人工の杜ということ。自然に見えるところに、知恵が入っている。それは、6月に御苑で咲く花菖蒲を見ても思うことです。あれだけのみごとな花を咲かせるために、人の力が加わっている。美しい「自然」も、そのバック、地下には、人間の知恵と努力がある、それを目の当たりにできるのが明治神宮ではないかと思っています。

 

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兼高 かおる(かねたか・かおる)

昭和3年生まれ。昭和34年から平成2年までの31年間にわたって、テレビ番組『兼高かおる世界の旅』(TBS系)をナレーター、ディレクター兼プロデューサーとして制作。外務大臣表彰、菊池寛賞、文化庁芸術選奨、国土交通大臣特別表彰など受賞、平成三年、紫綬褒章受章。著書に『わたくしが旅から学んだこと』(小学館)等。

聖蹟を歩く 第8回 明治11年北陸・東海道巡幸(2)
聖蹟を歩く 第8回 明治11年北陸・東海道巡幸(2)

弥彦行在所(五十嵐邸)は、彌彦神社のすぐ前です。現在、跡地の美しい庭園には記念碑が残されています。近くには、岩倉具視が宿泊した建物も残っています。

明治11年9月16日、天皇は彌彦神社の境内に玉歩を進め、親ら玉串を神前に捧げられました。その玉串は、今も大切に神社に保存されています。

 

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打越 孝明(うちこし・たかあき)

昭和35年、茨城県水戸市生まれ。早大大学院に学び、同大学助手や大倉精神文化研究所専任研究員などを経て、現在明治神 宮国際神道文化研究所主任研究員および早大非常勤講師を務める。共編著に『日本主義的学生思想運動資料集成Ⅰ・Ⅱ』や『大倉邦彦の『感想』―魂を刻んだ随 想録―』、論文に「明治天皇崩御と御製 上・下」(『復刊明治聖徳記念学会紀要』25・26)などがある。