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【平成23年】

夏号

『代々木』は、明治神宮・明治神宮崇敬会が発行する季刊誌です。

我が国の美しい伝統精神を未来に伝えるため、昭和35年より刊行をつづけております。

明治神宮崇敬会の皆様にお送りしております。

 

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明治神宮と私
明治神宮と私

明治神宮五代目宮司の祖父に抱かれて。昭和21年明治神宮仮殿遷座の祭典の折

明治神宮に来るとふるさとに戻った気がして、息子や孫のお宮参りや七五三にも自然に足が向きます。私にとって明治神宮は別格といいますか…。

あれから六十年を経て、鬱蒼とした代々木の森を歩くと木々で空が覆われ、社殿も立派で神楽殿も賑わっており、ここまで復興したのかとひじょうに感慨深いものがあります。

 

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鷹司 尚武(たかつかさ・なおたけ)

昭和20年、東京都生まれ。明治神宮第五代宮司・鷹司信輔氏の孫にあたり、先の神宮祭主・鷹司和子氏の養嗣子。同47年慶應義塾大学大学院修了。同年日本電気株式会社入社、NECネットワークソリューション開発事業本部長、NECネットワークス執行役員などを歴任。平成15年日本電気通信システム株式会社代表取締役社長となり、同19年に退職。同年、天皇陛下の御裁可を仰ぎ7月2日付で神宮大宮司に就任。

明治神宮と私
明治神宮と私

中嶋 朋子(女優)

明治神宮にくると、たぶん、自分と向き合うことができるんだと思うんですよ。参拝をして、気持ちが静かになって、そして自然の中でのんびりして……、晴れだろうが、雨だろうが。自然を楽しむ、というのかな。

呼吸するように、自然と一緒にいる時間を数分でも過ごせると、自分のチューニングができてくるので、「あ、私はこれがしたい。これがとても必要だ」ということが、ぶれないで見えてくる。それがすごく、大事な時間なんですね。

 

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中嶋 朋子(なかじま・ともこ)

東京都生まれ。国民的テレビドラマと呼ばれた『北の国から』で22年の長きにわたり螢役を務める。以後、映画、舞台へも活躍の場を広げ、実力派として高い評価を得る。他に、朗読、執筆、講演でも独特の感性を発揮。舞台『ヘンリー六世』(演出・鵜山仁)のマーガレット役で、第44回紀伊国屋演劇賞個人賞、2009年度読売演劇大賞優秀女優賞を受賞。現在、東京エフエム『ふんわりの時間』(毎週日曜午前9時~)でパーソナリティーを、フジテレビ『とくダネ!』の火曜日コメンテーターを務めている。6月24日から7月30日まで、舞台『血の婚礼』に出演(東京・豊島区のにしすがも創造舎体育館にて)。

森と日本人
森と日本人

C・Wニコル

日本は肥沃な国、トンボの国だ。トンボの種類は本当に多い。神武天皇が山がちな本州の形をトンボのような形だとしたことから、日本のことが「秋津島」と呼ばれるようになったという。その名前は、多様な自然に恵まれた日本の真の姿をあらわしたものだった。

平成二十四年は、私が初めて日本に足を踏み入れたときから五十年目にあたる。日本と日本国民が、この大震災から立ち直るために最もよい方法は、自然に対する伝統的な敬意を思い出し、敬意を回復するために努力することだと私は固く信じている

 

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C・Wニコル

1940(昭和15)年英国の南ウェールズ生まれ。17歳でカナダに渡り北極地域の野生生物調査を行って以降、カナダ政府の漁業調査委員会技官、環境保護局緊急係官として十数回にわたって北極地域を調査。昭和37年、空手修行のために初来日。同55年に長野県の黒姫に居を構える。平成17年、日本国籍を取得。作家として活躍する一方、エッセイや講演などを通じて環境問題に積極的に発言しつづけてきた。主な著書に『風を見た少年』『勇魚』『盟約』『誇り高き日本人で痛い』など。同14年5月、「財団法人C.W.ニコル・アファンの森財団」を設立し、理事長に就任。

聖蹟を歩く 第7回 明治十一年北陸・東海道巡幸
聖蹟を歩く 第7回 明治十一年北陸・東海道巡幸

九月六日は、中山道の難所である碓井峠越えの日です。幸いにも前日までの雨は止んで青空が広がり、左に妙義山がくっきりと望めます。難路で知られた峠道には、巡幸に際して新道が開かれましたが、それでも、急な登り道は巡幸の一行を苦しめました。馬車や騎馬はもちろん、輿(こし)に揺られての登攀(とうはん)すらままならず、天皇は玉歩をみずから山道に刻まれます。好天気に恵まれたこの日、青年君主は健脚ぶりを発揮されました。供奉員の多くは付き従うことができずに苦しみました。溌剌(はつらつ)とした若々しい天皇のお姿が印象的です。

 

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打越 孝明(うちこし・たかあき)

昭和35年、茨城県水戸市生まれ。早大大学院に学び、同大学助手や大倉精神文化研究所専任研究員などを経て、現在明治神 宮国際神道文化研究所主任研究員および早大非常勤講師を務める。共編著に『日本主義的学生思想運動資料集成Ⅰ・Ⅱ』や『大倉邦彦の『感想』―魂を刻んだ随 想録―』、論文に「明治天皇崩御と御製 上・下」(『復刊明治聖徳記念学会紀要』25・26)などがある。