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【平成28年】

夏号

『代々木』は、明治神宮・明治神宮崇敬会が発行する季刊誌です。

我が国の美しい伝統精神を未来に伝えるため、昭和35年より刊行をつづけております。

明治神宮崇敬会の皆様にお送りしております。

 

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明治神宮と私
明治神宮と私

本間家7代目・玄調が著した『瘍科秘録』を開く本間理事長

改めて、聖明福祉協会設立の経緯をお教えいただけますか。

僕は昭和24年に医療事故で失明しまして、病院のベッドの上で呻吟(しんぎん)しました。これからどのように生きていこうか考えました。

実は僕が2歳のとき、本間家9代目の祖父が私に遺言書を残していました。そこに本間家とはどういう家柄かということと、「その名を竹帛(ちくはく)に垂れよ」と書かれていました。書物に残るような人間になれ、と。本間家7代目の玄調は華岡青洲の一番弟子で、青洲の外科学を大成した人です。『瘍科秘録』という本を著しました。多くの人を救い、徳川斉昭から「救(すくう)」という称号を贈られたのです。ですから、“世のため人のため”というのが本間家の伝統だと思いました。従兄弟もたくさんいた中で、祖父がなぜか僕だけに遺言書を残していたんです。

失明した時は絶望しましたけれども、やっぱり祖先のことを考え、親のことを考えると、なんとか生きなくちゃ、と。

悩み苦しんだ経験を、同じ失明者のために役立てられないかと、日本社会事業学校(現日本社会事業大学)の門を叩きました。目の見えない人を受け入れるのは初めてということでしたが、立派な先生が多く、そこで勉強した後に、昭和30年、聖明福祉協会を設立しました。

 

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本間 昭雄(ほんま・あきお)

昭和4年、東京生まれ。家業である医師を目指していたが医療事故により20歳で失明。苦悩の日々を過ごすも、視覚障害者の福祉に役立つことを目標とし、昭和30年に聖明福祉協会を設立。昭和44年、国内では唯一の盲大学生奨学金制度を設立。現在、盲老人施設を3つ経営している。『ぐち』(聖明福祉協会)、『闇の中に心の炎を』(聖明園・富士見園後援会)、『救』(講談社出版サービスセンター)などの著書がある。

やまと言葉で「初詣」を思想する
やまと言葉で「初詣」を思想する

竹内 整一(鎌倉女子大学教授、東京大学名誉教授)

明治神宮は、初詣の参拝者が日本でもっとも多いことで知られている。例年、大晦日から正月三が日にかけて、300万人前後もの人々が訪れ、神殿に参り拝礼し柏手を打って、旧年の感謝をささげ、新年の無事と平安を祈り願っている。

その祈りや願いは、しかし、何に向かってなされているのかは、あまり意識されることはない。明治神宮が明治天皇と昭憲皇太后を祭神とすることは知っていても、とりわけそうした対象として眼差されて祈られているわけではない。それは、日本全国でも毎年八千万人を超えると言われるほかの神社や寺院での初詣でも同じであろう。

 

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竹内 整一(たけうち・せいいち)

昭和21年長野県生まれ。東京大学文学部倫理学科卒業。現在、鎌倉女子大学教授、東京大学名誉教授。専門は日本倫理思想。日本人の精神の歴史を辿りなおしながら、それが現在に生きるわれわれに、どのように繋がっているのかを探求している。著書に、『日本人はなぜ「さようなら」と別れるのか』(ちくま新書)、『「かなしみ」の哲学』(NHKブックス)、『花びらは散る 花は散らない』(角川選書)、『やまと言葉で〈日本〉を思想する』(春秋社)、『ありてなければ』(角川ソフィア文庫)、『「やさしさ」と日本人』(ちくま学芸文庫)、その他。

代々木の杜の蝶のはなし
代々木の杜の蝶のはなし

高桑正敏氏

黒化したカミキリ虫や絶滅危惧種の蝶など多数

境内の調査期間中、大雪が降って枝がずいぶんと折れた時がありましたが、あれは却ってよかったんです。「林内空間」ができて、陽が差してくるのでそこに虫が集まってくる。それと、折れた枝そのものに集まる甲虫類がいるんです。その時に見つかったのがトガリバアカネトラカミキリ。通常、赤色なのが、境内にいたものは黒色でした。普通の管理では、折れて落ちた枝をすぐに処分してしまうのですが、明治神宮では置いておくので、集まってくるのです。彼らはそこで交尾をして卵を産む。幼虫は枝に食い入って、それを土に返します。

 

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高桑 正敏(たかくわ・まさとし)

昭和22年、神奈川県生まれ。東京都立大学経済学部卒、農学博士。神奈川県立生命の星・地球博物館名誉館員。著書に『日本産カミキリ大図鑑』(講談社)、『高桑正敏の解体虫書』(華飲み会)、『ホタル』(誠文堂新光社)、『ベニボシカミキリの世界』(むし社)等。

聖蹟を歩く 第22回 明治13年甲州・東山道巡幸(6)
聖蹟を歩く 第22回 明治13年甲州・東山道巡幸(6)

(中津川市)馬籠の見晴台から新緑の恵那岳を望む

馬籠峠から岐阜県へ

明治13年(1880)6月28日、明治天皇は馬籠峠(まごめとうげ)(写真)を越えて中山道(なかせんどう)の旧馬籠宿に到着し、島崎宅で休憩されました。島崎家は江戸時代の旧本陣で、詩人や小説家として活躍した島崎藤村(とうそん)の実家です。

当地では、馬籠峠の名物が巡幸に付き従う人々に配られています。配られたのは、名産の「栗の赤飯」(『明治天皇紀』)、つまり栗を糯米(もちごめ)に添えて蒸した栗強飯(くりおこわ)です。栗強飯は、江戸時代後期の文筆家である十返舎一九(じっぺんしゃいっく)も『続・膝栗毛(ひざくりげ)』で紹介している名産品でした。

 

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打越 孝明(うちこし・たかあき)

昭和35年、茨城県水戸市生まれ。早大大学院に学び、同大学助手や大倉精神文化研究所専任研究員などを経て、現在明治神宮国際神道文化研究所主任研究員および早大非常勤講師を務める。著書に『絵画と聖蹟でたどる明治天皇のご生涯』、共編著に『日本主義的学生思想運動資料集成Ⅰ・Ⅱ』や『大倉邦彦の『感想』―魂を刻んだ随想録―』、論文に「明治天皇崩御と御製 上・下」(『復刊明治聖徳記念学会紀要』25・26)などがある。