【平成30年】
新年号
『代々木』は、明治神宮・明治神宮崇敬会が発行する季刊誌です。
我が国の美しい伝統精神を未来に伝えるため、昭和35年より刊行をつづけております。
明治神宮崇敬会の皆様にお送りしております。
対談 明治維新150年に思う
対談に熱が入る芳賀氏(左)と平川氏
我が三十代後半の仕事
平川 我々は二人とも明治百年にあたる昭和四十年代のはじめ、世界の中の明治日本を考えることが比較研究者としての出発点となりました。芳賀さんは昭和44年に『明治維新と日本人』を、最初は『明治百年の序幕』という題で文藝春秋の『大世界史』の一巻として世に出しました。蘭学者に始まる日本人の西洋文明の吸収と明治日本の近代国家建設をポジディヴに記述した。私は森鴎外をケース・スタディーに取り上げて日本人がどのようにして西洋文明を摂取し同化しながら、しかも、自分たちのアイデンティティーを維持したか、それを『和魂洋才の系譜』(昭和46年)として書きました。それから半世紀が経ち、平成30年は明治150年にあたります。
芳賀 我々が30代後半の頃、昭和43年は思い出せば大学紛争の年でした。明治100年の記念行事が計画されていましたが、そのためにフルには展開できなかった。学界内でも100年を祝うこと自体に反対する左翼系の学者の動きが顕著で、出版社もマスコミも政府も口を塞がれているようでした。そのなかで我々は幕末明治に対する見解を既にそれなりに持っていたのですが、それを公表するのに気兼ねがあった。 そんなことで、近年ようやくおおっぴらに明治維新の面白さ、その重大さ、そしてそれに先駆けた徳川日本という円熟した文明がもつ重要性を語ることができるのは大変嬉しいことです。
※記事抜粋です。『代々木』をお読みになりたい方は、崇敬会にご入会下さい
芳賀 徹(はが・とおる)
昭和6年、山形生まれ。東京大学教養学部卒、比較文学者。東京大学教授、プリンストン大学客員研究員、京都造形芸術大学学長、静岡県立美術館館長などを経て、現在、東京大学名誉教授。明治神宮責任役員。著書に『渡辺崋山・優しい旅びと』『明治維新と日本人』『平賀源内』『文明としての徳川日本』等多数。
平川 祐弘(ひらかわ・すけひろ)
昭和6年、東京生まれ。東京大学教養学部卒、比較文学者。東京大学教授、福岡女学院大学教授を経て、現在、東京大学名誉教授。ダンテ『神曲』をはじめ、ラフカディオ・ハーン著作の翻訳多数。著書に『竹山道雄と昭和の時代』『西洋人の神道観―日本のアイデンティティ―を求めて』等。『平川祐弘著作集』全34巻刊行中。
明治神宮と私
裏千家家元 千宗室
ちょうど去年(平成28年)の『ナショナルジオグラフィック』(日本版)1月号は明治神宮の特集号でした。表紙を飾ったのは明治神宮の航空写真。改めて、森の深さを感じました。タマムシやホコリタケの写真も良かったし、オオタカが営巣しているなんて本当にすごいことではないですか。
なぜ、スタジオジブリのアニメが老若男女に人気があるのか。それは、「森羅万象」という言葉が身近なところからなくなってきたからではないですか。明治神宮は人の手でつくられた杜ですが、もう、人がつくったというよりも、大きな自然の力を拝借して命を育てた場所ですよね。そんな場所が東京の中央に残っている、東京という街の最後の砦みたいな場所。それも人がつくった。とんでもないところです。そんなとんでもないところで献茶をさせていただいていると思って、いつもきっちり朝、潔斎をして伺わせていただいています。多くの命に対する畏怖の念をもってお茶を勧め、捧げさせていただいています。
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千 宗室(せん・そうしつ)
昭和31年、京都府生まれ。臨済宗大徳寺管長・僧堂師家 中村祖順老師のもとで参禅得度、斎号「坐忘斎」を受く。平成14年、鵬雲斎家元の跡を継ぎ、裏千家家元となり今日庵庵主として宗室を襲名。
鎮座百年記念 第二次明治神宮境内総合調査委員に聴く 代々木の杜の苔のはなし
国立科学博物館 植物研究部長 樋口正信
「君が代」は、古今和歌集の詠み人しらずに由来しますが、石の上に苔が生えてくる様子で時間の長さを表現しています。長い時間と直接言うのではなく、身の回りの自然現象で表現する感覚が日本人には備わっているのでしょう。
以前、カンボジアのアンコールワット遺跡の調査を頼まれたことがありました。遺跡に生えている苔の調査なのですが、現地では最終的には除去するのが目的のようでした。日本人なら、石の灯篭などに苔が生えていると風情を感じるところですが、これは文化の違いなのだと思います。
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樋口 正信(ひぐち・まさのぶ)
昭和30年、埼玉県生まれ。広島大学大学院博士課程修了。理学博士。国立科学博物館植物研究部長、筑波実験植物園園長、東京大学大学院理学系研究科教授。著書に『新しい植物分類学Ⅱ』『コケの不思議』等。
聖蹟を歩く 第28回 明治14年北海道・秋田・山形巡幸(2)
(大田原市)上町公民館の入口にある記念碑
明治天皇が東京を発たれてから1週間が経ちました。
明治14年(1881)8月6日、天皇は栃木県の佐(さ)久(く)山(やま)(大田原市)を発ち、那須野が原を進まれます。
大田原の中心部に設けられた小休所(益子宅)は、かつての脇本陣です。建物の跡地には、上町公民館が建ち、「明治天皇大田原御小休所」碑(昭和14年建設)が遺されています(写真)。文部省指定の聖蹟であったことを示す記念碑です。
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打越 孝明(うちこし・たかあき)
昭和35年、茨城県水戸市生まれ。早大大学院に学び、同大学助手や大倉精神文化研究所専任研究員などを経て、現在明治神宮国際神道文化研究所主任研究員および早大非常勤講師を務める。著書に『絵画と聖蹟でたどる明治天皇のご生涯』、共編著に『日本主義的学生思想運動資料集成Ⅰ・Ⅱ』や『大倉邦彦の『感想』―魂を刻んだ随想録―』、論文に「明治天皇崩御と御製 上・下」(『復刊明治聖徳記念学会紀要』25・26)などがある。