【平成21年】
秋号
『代々木』は、明治神宮・明治神宮崇敬会が発行する季刊誌です。
我が国の美しい伝統精神を未来に伝えるため、昭和35年より刊行をつづけております。
明治神宮崇敬会の皆様にお送りしております。
御製に現れた伝統の格調
昭和54年に私は宮中歌会始の選者を命じられました。私の学問と歌の師である折口信夫博士も晩年の昭和25年から3回、歌会始の選者をつとめ、当時私は内弟子として師の家に同居していましたから、その役目の内容は大体わかっていました。
ところが昭和58年の春、それまで宮内庁御用掛として天皇をはじめ皇族方のお歌相談役をつとめていられた木俣修さんが亡くなられると、間もなく私がその後継ぎの役目をつとめるように命じられました。すぐ天皇の拝謁を仰せつけられ、入江侍従長、徳川侍従次長から夕食のお招きがあって、心がけることは一往うかがいました。
※記事抜粋です。『代々木』をお読みになりたい方は、崇敬会にご入会下さい
岡野 弘彦(おかの・ひろひこ)
大正13年、三重県生まれで、家は代々神主家。國學院大學国文科卒。学生時代から短歌結社「鳥船社」に入り、釈迢空(折口信夫)に師事した。昭和54年から宮中歌会始選者、同58年からは宮内庁御用掛を務め、平成19年に退いた。現代歌人協会賞、釈迢空賞、芸術選奨文部大臣賞、芸術院賞など数々を受賞。現在、芸術院会員、國學院大學名誉教授
森をつくった人 上原敬二
学生時代から本多静六教授の下で明治神宮造営の基礎調査、設計に関係していたが、大学進学後本格化した。大正4年5月大学院を中退し、明治神宮造営局技師に任命された。その後、大正7年5月に退官するまで明治神宮内苑の造成に邁進した。上原が神宮の森造成に参画を決意したのは、森を造成するという森林生態学と森林美学の理論を実践する場として、貴重な資料を得るまたとない機会であろうと考えたことによる。
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濱野 周泰(はまの・ちかやす)
昭和28年生まれ。東京農業大学地域環境科学部造園科学科教授。専門は造園植物および造園樹木学。樹木医学会理事、社叢学会理事、造園学会理事。著書に『葉っぱで覚える樹木』『大人の園芸「庭木・花木・果樹」』など多数。上原敬二氏の甥にあたる。
上原 敬二(うえはら・けいじ)
明治22年東京生まれ、昭和56年歿。92歳。東京帝国大学農科大学林学科を卒業後、同大大学院(森林美学専攻)に進学し、本多静六教授の下で造園学・樹木学・建築学を学ぶ。「神社林の研究」で林学博士に。造園学研究のため欧米に留学。帰国後、関東大震災後の内務省帝都復興局に任用されたが7ヶ月で辞職し、帝都復興事業のための造園技術者養成を目指し、東京高等造園学校を設立。(社)日本造園学会には上原敬二賞、東京農業大学には上原賞(優秀卒業論文賞)が設けられている。
十二徳の実践者「修学習業」
藤原 正彦(お茶の水女子大学名誉教授)
戦前の人は教育勅語を暗誦していましたよね。やはり暗誦に耐えられる文章でないといけないと私は思います。
そして内容もすばらしい。日本ならではのものです。それに比べて今の教育基本法はどうでしょうか。どこの国に持っていってしまってもいいような内容ではないですか?教育勅語は、「我が皇祖皇宗……」とあるように、日本人のためのもの、日本人が何千年と培ってきたものを言葉にしたものです。私は教育勅語をこのまま復活させてもいいのではないかと思います。
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藤原 正彦(ふじわら・まさひこ)
昭和18年旧満洲新京生まれ。お茶の水女子大学名誉教授。著書『若き数学者のアメリカ』で日本のエッセイスト・クラブ賞を受賞。平成17年に刊行された『国家の品格』は、200万部を超えるベストセラーとなった。他に『祖国とは国語』『世にも美しい日本語入門』『この国のけじめ』など多数。作家・新田次郎、藤原てい夫妻の次男。