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【平成30年】

秋号

『代々木』は、明治神宮・明治神宮崇敬会が発行する季刊誌です。

我が国の美しい伝統精神を未来に伝えるため、昭和35年より刊行をつづけております。

明治神宮崇敬会の皆様にお送りしております。

 

[明治神宮崇敬会のお申込み]

平成30年5月18日 浄闇の中 仮殿遷座祭を斎行
平成30年5月18日 浄闇の中 仮殿遷座祭を斎行

遷御の儀

5月18日午後7時、仮殿遷座祭が執り行われ、明治神宮責任役員・総代、関係者約280人が参列しました。鎮座百年祭記念事業の一環として行っている御社殿群屋根葺替工事が内拝殿・本殿に着手するにあたって、御祭神に本殿から仮殿にお遷(うつ)りいただきました。

「遷御(せんぎょ)の儀」に際して御社殿の明かりはすべて消され、御霊代(みたましろ)(=御神体)は御羽車(おはぐるま)に奉戴し、白い絹垣(きぬがき)で囲まれ、御本殿から出御(しゅつぎょ)。鹵簿(ろぼ)(=御羽車を中心とした行列。楽を奏する伶人(れいじん)含め52人)は神職が発する「オー」という警蹕(けいひつ)と雅楽が流れる中、陰灯(かげとう)の灯りのみで参列者の前を進んで中庭(ちゅうてい)に造られた仮殿に遷られました。仮殿に御霊代が奉安され、祭典が終わると、参列者は檜の香りが漂う仮殿に各々参拝しました。

 

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明治維新150年記念特別特別展 「明治日本が見た世界」開催に寄せて
明治維新150年記念特別特別展 「明治日本が見た世界」開催に寄せて

久野 明子氏

大山捨松の曾孫として

 

――昭和63年、大山捨松の生涯を綴った著書『鹿鳴館の貴婦人 大山捨松』をおまとめになりました。

 

ちょうど25年前になります。当時、津田塾大学を設立した津田梅子は知られていても、捨松といえば「鹿鳴館の花」という言葉で語られるばかりでした。その頃、ある女性史研究者が、「明治政府は国費をかけて5人もの女子留学生を派遣したが、結局その目的に応えたのは津田梅子1人だった。」と。そして、「捨松などは帰国早々陸軍大臣大山巌と結婚して伯爵夫人となり、鹿鳴館で踊るぐらいのことしかせずに終わった」と書いているのです。子孫としては悲しい思いでしたが、反論することもできませんでした。

そんな時、友人のアメリカ人女性に「日本の女性で最初にアメリカの大学を卒業したのは誰?」と尋ねられたことが、本書執筆の契機になりました。曾祖母については「ママちゃん(捨松)は、最後まで日本語の新聞が読めなくて、子供たちが寝た後に英字新聞を読んでいたのよ」と、幼い頃から祖母に聞かされてはいましたが、彼女がなぜアメリカに渡り、10年間どこでなにをしていたのか。自分は何も知らないことに気づかされ、捨松の足跡を尋ねる旅が始まったのです。その年は偶然にも捨松が10年間のアメリカ留学から帰国して100年目にあたり、曾祖母に背中を押されているようにも感じられました。

 

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久野 明子(くの・あきこ)

昭和39年慶應義塾大学卒。現在、(一社)日米協会副会長。著書に『鹿鳴館の貴婦人 大山捨松~日本初の女子留学生』、訳書にアリス・ベーコン著『華族女学校教師の見た明治日本の内側』等がある。大山捨松の曾孫。

明治神宮と私
明治神宮と私

御苑南池の水面(撮影 ジョー奥田氏)

鎮座百年記念CDを制作

 

今を、あるがまま伝えたい

 

前回の作品、『美しき神宮の森』は、タイトルの通り、明治神宮の森の自然の美しさを切り取った作品だったが、今回のCDは少し趣が違う。自然の美しさだけではなく、そこにある人の生業、そして森を取り巻く都会の風景も含め、今の明治神宮の森をドキュメンタリー的な目線で切り取った作品となった。これは、百年後、二百年後の私達の子孫達に、今の明治神宮の森の様子を、あるがまま伝えたいという思いがあったからだった。

この明治神宮の森は人の手によって創られた人工の森である。しかも人間の手を借りること無く、完全に自立循環していける生態系が確立された森だ。本物の森を作ることを目標に、綿密な計画のもとに創り上げられたこの森は、人間が英知を結集すれば、大都会の真ん中にでも本物の森が創れるということを証明した世界的に貴重な資産だと思う。

この森の美しさを百年後、二百年後の私達の子孫に届けたい、そして今の時代に、この自然の美しさを愛する人々がいたということを伝えたい、そんな思いを込めた作品作りを今後も続けていきたいと思う。

 

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ジョー奥田(じょーおくだ)

自然録音家・音楽プロデューサー。バイノーラルマイクとDSDレコーダーで、世界各地の自然音を録音し、ストーリー性豊かな音の世界をクリエイトする。1980年に大阪歯科大学卒業後、ロサンゼルスに渡り音楽活動開始。レオン・ラッセル、ロバータ・フラックなど、著名アーティストのプロデュースを行い、1998年から自然音楽家として活動する。

聖蹟を歩く 第31回 明治14年北海道・秋田・山形巡幸(5)
聖蹟を歩く 第31回 明治14年北海道・秋田・山形巡幸(5)

「明治天皇古川行在所」碑

大崎市の聖蹟

明治14年(1881)8月14日、明治天皇は夜の帳(とばり)が下りた宮城県の古川行在所(あんざいしょ)(志田郡役所)に到着し、東京を発ってから16泊目の夜を迎えられました。今の大崎市役所の場所です。10里(40㌔㍍)もの雨上がりの悪路を進まれた1日でした。

かつて古川市教育委員会などが設けた解説によると、嘉永3年の建造で「市の発展に深く関わった由緒ある建造物」は、「昭和31年までこの地にあったが、祇園八坂神社に移建され、昭和60年解体」されました。

市庁舎前に「明治天皇古川行在所」碑(昭和10年建碑)が遺されています(写真)。

 

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打越 孝明(うちこし・たかあき)

昭和35年、茨城県水戸市生まれ。早大大学院に学び、同大学助手や大倉精神文化研究所専任研究員などを経て、現在明治神宮国際神道文化研究所主任研究員および早大非常勤講師を務める。著書に『絵画と聖蹟でたどる明治天皇のご生涯』、共編著に『日本主義的学生思想運動資料集成Ⅰ・Ⅱ』や『大倉邦彦の『感想』―魂を刻んだ随想録―』、論文に「明治天皇崩御と御製 上・下」(『復刊明治聖徳記念学会紀要』25・26)などがある。