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【平成20年】

夏号

『代々木』は、明治神宮・明治神宮崇敬会が発行する季刊誌です。

我が国の美しい伝統精神を未来に伝えるため、昭和35年より刊行をつづけております。

明治神宮崇敬会の皆様にお送りしております。

 

[明治神宮崇敬会のお申込み]

岩倉使節団「武士道精神(サムライ・マインド)」に学べ ―いまこそ維新百四十年を総括すべき時
岩倉使節団「武士道精神(サムライ・マインド)」に学べ ―いまこそ維新百四十年を総括すべき時

泉 三郎(岩倉使節団研究家)

―当時の人々には大きな使命感とそれを果たしていこうという気概があったのですね。

 

明治の日本で重要なのはサムライという階級がいたことです。公のために命をかけて働く。国の危機に何かしなくてはいけないという使命感、責任感。だから向こうに行って懸命に学ぼうとする。摂取するものは摂取する。しかし、まねるべきでないものはまねない。西洋を見て最も違和感があったのがキリスト教、そして男女・夫婦・親子の関係。つまり個人主義です。それから礼節の問題。アメリカは当時まだ中進国だったので、アメリカ人を見ていると日本人の方が道義や文化レベルは上だと自信を持った。

 

そして、欧米諸国の人たちはお金のために働く。久米邦武から言えば「概して言えば西洋諸国は町人国家である」と。つまり精神的あるいは文化的な意味では日本の方がむしろ勝っている、そう思うんですね。当時、日本には「この際すっかり西洋にならってしまえ」という過激な若者たちがいました。国語を英語にしたり、キリスト教になってしまえ、と。しかしその必要はない、西洋の技術などは取り入れるけれども、日本のよさ、神道をベースとした仏教、儒教を丸めて薬にしたような「日本教」がある。この日本のよさは守らなくてはいけない、と使節団は考えた。

 

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泉 三郎(いずみ・さぶろう)

昭和10年、東京都出身。一橋大学経済学部卒。『米欧回覧実記』に出会って研究を始め、使節団の道筋をたどる旅を続ける。『明治4年のアンバッサドル』(日本経済新聞出版社)、『堂々たる日本人』(祥伝社黄金文庫)など著書のほか、DVD『岩倉使使節団の米欧回覧』(慶応義塾大学出版会)の制作や、「米欧回覧の会」を主催して国内外で講演活動を実施。在学中、石原慎太郎氏らと6カ月にわたり南米大陸横断のスクーター旅行も。5月にPHP研究所より『誇り高き日本人―国の運命を背負った岩倉使節団の物語』を刊行した。を設立。

十二徳の実践者 「夫婦の和」
十二徳の実践者 「夫婦の和」

阿木耀子(音楽家)

(前略)

相手を尊敬することが大事だし、私自身も尊敬されるに値する存在でいようと努力することが大事だと思います。

主人はとても大人で、甘ったれたところがありません。私より強いし、揺るがない。音楽を愛して、作曲に対する情熱をいつまでも持ち続け、そのための努力を惜しみません。

それに私は主人から「だめ」と言われたことがないんですね。私の人生をサポートすることはあっても、否定されたことはない。

主人は主人で、ふだん私の生真面目さとか、何かに熱中しているときの集中を認めてくれているのだと思います。 

彼は音楽に対してはね注するタイプですが他のことは案外、飽きっぽい。私は逆に広く浅く粘り強い方なので、お互いに似ているところと似ていないところがあります。だから二人を足して一人前かというと、それでもまだ欠けているところが多いので、その辺は周りの人に助けてもらっています。

(後略)

 

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宇崎 竜童(うざき・りゅうどう)

東京都出身。昭和48年にダウンタウン・ブギブギバンドを結成。映画音楽では『駅―STATION』『社葬』などで日本アカデミー賞優秀音楽賞受賞。映画・舞台音楽の制作、俳優等幅広く活動中。

 

阿木 耀子(あき・ようこ)

横浜市出身。宇崎氏のダウンタウン・ブギブギバンドのために書いた『港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ』で作詞家として世に出る。山口百恵のヒット曲の多くを宇崎氏とともに作り上げる。随筆家として著作物も多く。『TANNKA短歌』で映画監督も。平成18年秋、紫綬褒章。

戦後復興の軌跡 第三回 地域再生の歩みとともに
戦後復興の軌跡 第三回 地域再生の歩みとともに

インタビュー 私の戦後と明治神宮 山本 一力(作家)

高知から上京して、渋谷区富ヶ谷の新聞専売所で住み込み配達員を始めたのは、中学三年の春だそうですね。

 

(前略)

新聞を配っていたエリアというのが、大山町と西原全体、それからワシントンハイツ。専売所からちょっと歩いていったらフェンスがあって、今の代々木公園から岸体育館の辺りまでが丸ごとハイツだった。渋谷のど真ん中にアメリカがあったんだから。もう完全な街でね、教会も映画館もあった。日本人はあまり車なんて持ってなかった時に、この中を走っていたのはパステルカラーのアメ車だったんだよ。親しくなったロバートさん一家に招かれて家に入ったら、とんかくテレビがでかい。あれには圧倒された。

ロバートさんには、ビルとゲリーとメリージョーの三人の子供がいて、一緒に遊びたいからもう必死で、走って新聞を配り終えました。英語を教わったのも彼らから。なかに何度言われてもわからない単語が二つあった。一つは「ピザ」。ピッツァ、ピッツァって言って説明してくれるんだけれども、食べたことがないからイメージが湧かない。彼らから教わって食べて、ああ、うまいもんだなというのがわかった。もう一つは、「キディランド」。日曜の午後、遊びに行ったら、今からそこに行こうという。一緒にハイツを横切って、反対側におゲートを出たら、ちょうどそこだったんだね。日本のおもちゃ屋さんとはまったく違っていた。俺は今でも覚えてるんだけど、彼らは軍票で買い物をしていた。あの時代はよっぽどアメリカの国力が強かったんでしょうね。

(後略)

 

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山本 一力(やまもと・いちりき)

昭和23年、高知県生まれ。都立世田谷工業高等学校電子科卒業。旅行代理店・広告制作会社勤務などを経て、平成9年『蒼龍』でオール読物新人賞、平成14年『あかね空』で直木賞を受賞。著書に『ワシントンハイツの旋風』・『だいこん』・『たすけ鍼』などがある。