ample

【平成20年】

新年号

『代々木』は、明治神宮・明治神宮崇敬会が発行する季刊誌です。

我が国の美しい伝統精神を未来に伝えるため、昭和35年より刊行をつづけております。

明治神宮崇敬会の皆様にお送りしております。

 

[明治神宮崇敬会のお申込み]

五箇條の御誓文と日本の「まつりごと」
五箇條の御誓文と日本の「まつりごと」

本年は、五箇條の御誓文布告百四十年にあたります。近代日本の出発点は、五箇條の御誓文の祭儀でした。これは誰しも異論のないところでしょう。

 

維新先人は、国家の危機をわがこととしてうけとめ、必死でこれを乗り越えようとしました。内外の難局に翻弄され、滅亡の危機に瀕していた日本は、明治維新によって死の淵から蘇り、未来への展望をわがものとした、ということもできましょう。五箇條の御誓文こそは、まさに「日本のよみがえり」をもたらした御代始めの「まつりごと」でした。

(後略)

 

※インタビュー抜粋です。『代々木』をお読みになりたい方は、崇敬会にご入会下さい

 [崇敬会入会はこちら]

 

武田 秀章(たけだ・ひであき)

昭和32年生まれ。國學院大學大学院修了。国学・神道史専攻。著書に『日本型政教関係の誕生』(共著)、『維新期天皇祭祀の研究』他。

戦後復興の軌跡 第一回 焼け跡からの出発 インタビュー 私の戦後と明治神宮
戦後復興の軌跡 第一回 焼け跡からの出発 インタビュー 私の戦後と明治神宮

代々木、渋谷は、どんなところだったのでしょうか。

この近くには牧場があった。小学校の頃、戦前ですよ。明治五年頃には、銀座や京橋、東京の真ん中に牧場が一杯あったそうですよ。それが、中央が発展してきて、外れの代々木のほうに移ってきたんです。

表参道も、何もなかった。あの辺りは住宅街だったの。商店なんてありませんでしたよ。でも物騒ではなかった、夜歩いても。それはやはり、神宮の参道だから。戦後に目立ったのは、まずオリエンタルバザール。それからコーポオリンピア。あの地下に、当時でいう高級スーパーが入ったの。それが私が、「高級スーパー」なるものに出会った最初。その頃から、表参道も変わりだしましたね。

 

※インタビュー抜粋です。『代々木』をお読みになりたい方は、崇敬会にご入会下さい

 [崇敬会入会はこちら]

 

平岩 弓枝(ひらいわ・ゆみえ)

昭和7年、代々木八幡宮宮司の長女として生まれる。夫は、現宮司・平岩昌利氏。日本女子大学国文科卒業。戸川幸夫氏の知遇を得、その推薦で長谷川伸氏に師事。昭和34年『鏨師(たがねし)』で第41回直木賞を受賞。小説、舞台演出、テレビドラマの脚本を手がける等、幅広く活躍。平成9年紫綬褒章受賞。文化功労者。著書に、時代小説『御宿かわせみ』『はやぶさ新八御用旅』シリーズがある。

十二徳の実践者 「孝行」
十二徳の実践者 「孝行」

三浦 雄一郎(登山家)

親孝行が原点。そして仲間や周りの人も大事にする

父が、著書の中で私たち兄弟のことを《共通しているのは親思いなことだ》と書いています(『99歳、モンブラン大滑走に挑む』)。どこでもそうでしょうけれども、うちの子供たちもそうですね。今回は逆に僕が子供たちに心配をかけていて、「親不孝」ではなくて「子不孝」している(笑)。「親孝行」がまず原点でしょうね。そして仲間や周りの人も大事にするようになる。全部共通していますね。

私は世界の七大陸最高峰のスキー滑降を終えて、「もういいだろう」と、一回はリタイアしたつもりでした。とおろが、父が九十九歳でモンブランを滑るとか、息子がオリンピックにかけてがんばって姿が、ものすごくいきいきしているわけです。

(後略)

 

※インタビュー抜粋です。『代々木』をお読みになりたい方は、崇敬会にご入会下さい

 [崇敬会入会はこちら]

 

三浦 雄一郎(みうら・ゆういちろう)

昭和7年、青森県生まれ。北海道大学獣医学部卒業。昭和39年、イタリア・キロメーターランセに日本人として初めて参加(父、敬三氏が初めて世界にいくきっかけにもなった)し、当時の世界新記録を樹立以来、富士山直滑降、エベレスト8000メートル世界最高地点スキー滑降(記録映画がアカデミー賞受賞)、世界七大陸最高峰のスキー滑降完全達成など数々の記録を打ち立てた。平成15年、次男・豪太氏と世界最高峰エベレストに登頂、当時の最高年齢記録と日本人初の親子同時登頂記録を樹立。同年、敬三氏の99歳記念に長男・雄大氏と三代でモンブランで滑降を成功させている。