明治神宮武道場至誠館 館長 宇田川哲哉
昭和44年東京都生まれ。少年時代は柔道の稽古に明け暮れる毎日を過ごす。平成元年中央大学合気道部に入部、同部師範の田中茂穗初代館長(現名誉館長)に師事する。同年至誠館に入門、武道の修練を志す。以後今日まで、田中初代館長、稲葉稔二代館長(現名誉師範)、荒谷卓三代館長、前武学師範の田尾憲男先生より日本武道精神の薫陶を受ける。
平成16年より武道研修科講師となる。平成30年5月より至誠館専任師範として明治神宮に奉職。同年10月、第四代館長に就任。
至誠館は、明治神宮の内苑にある武道場である。御社殿の西に都会の喧騒に隣接しているとは思えない静けさの中に佇み、その中では、青少年、大学生、社会人、外国人他様々な立場の門人が、日々稽古に汗を流している。冷暖房設備など無い道場で大寒であろうとも猛暑であろうとも、一年中休むことなく心身を鍛えている。
「御祭神の大御心を奉体し武道を通じて心身の鍛練、誠実な人格の陶冶訓育を行い、以って国民の健全なる精神作興に寄与するとともに諸外国との交流を図り国際理解に貢献すること」が至誠館開設の目的となっている。
明治神宮の御祭神は、言うまでもなく、明治天皇と昭憲皇太后の二柱である。この二柱は明治維新にあたり、精神的支柱として日本の近代化の中心でいらっしゃった。明治維新にあたり、神武創業に立ち還り、それまでの武家政治を一新して富国強兵を推し進め、欧米列強に肩を並べるようにされたのだが、尚武の御精神をお忘れにならないよう常にご自分を戒めておられた。
- 明治天皇御製
- 身にはよし佩かずなりとも剣太刀
- 研ぎな忘れそ大和心を
至誠館は、柔道科、剣道科、弓道科及び合気道と鹿島の太刀をあわせた武道研修科並びに精神修養を目的とした武学講座から成り立っている総合武道場である。各科の師範、講師により、錬成の方法はそれぞれ違えども、その目的に則った指導を行っている。各道場には教育勅語と毎月明治天皇御製若しくは昭憲皇太后御歌を掲げ、御祭神の大御心のもと門人が集結している。
至誠館の各科においての武道錬成では、まず稽古前に稽古出席の門人全員が道場を清掃し、榊の水を取り替えるなど神棚を整える。そして、師範、講師の先導により稽古の始めと終わりに神棚に向かって二拝二拍手一拝の作法を持って拝礼を行う。これは、神前にうそ偽りの無い誠の精神を持って錬成に臨むという、意思表示である。
まずは、この神前への態度を明確にしてから、各人の鍛錬に繋げていくのである。
それではどのように鍛錬していけばよいのか。そのヒントは、先人の考え方にある。 一つには日本の神話を回顧してみることである。
日本では、古人の考え方を文字で著したものとして、古事記、日本書紀または多くの神話、昔話が存在する。現代の歴史学からいうと、それらは実際の歴史とは認識できないということで、教育現場では教えない。ただ、それが歴史と認識できるかどうかに拘らず、当時の人々はそのような考え方を持っていたのだ。それらを検証しないで、日本の伝統的精神など分るはずもない。
日本の神話には、「武」に関する話が多く存在する。例えば、古事記の天照大神と大国主神との国譲りの話が有名である。高天原の天照大神が、大国主神が治める葦原中国を譲るよう交渉する話である。この交渉に際して、天照大神が遣わした建御雷神(タケミカヅチノカミ)と大国主神の子である建御名方神(タケミナカタノカミ)との戦いである。
建御雷神は大国主神を海辺で待っていた。その姿は、剣をさかしま(逆様)に立て、そこにあぶみ(安座)していたというものである。鋭利な刃の上に胡坐をして待つということは、正に神の業であり、ここに建御雷神の「武威」が多分に示されている。その武威に圧倒された大国主神はその息子達に判断を任せる。そこで建御雷神は大国主神の次男である建御名方神と力競べとなるのだが、建御雷神の圧勝となる。建御雷神に諏訪の地まで追い詰められた建御名方神はまつらうことを誓約した。「まつらう」とは降伏するという意味とともに祭るということもあわせもつ。天津神(あまつかみ)を祭るということであり、従うということである。そのことで、建御雷神は建御名方神を許した。そして大国主神のために出雲の国に大きな神殿を建てたとともに、建御名方神にも諏訪の地に神殿を建てた。建御名方神は、諏訪大社の中で武神となって祀られたのである。
この物語の中で、まず教えてくれるのは、「剣をさかしまに立て、そこにあぶみしている。」ことから何事にも動じない「武威」の発揚である。体の中心から気が満ちていることが良く感じられる。言い換えれば「威を張った」状態である。これは、空威張りしているような輩は吹き飛ばされてしまうものである。
これを、現代の武道に当てはめてみると臍下丹田を張るということだ。柔道でも、剣道でも、弓道でも、合気道でも、「体つくりに大切なのは、臍下丹田に心をおいてここから力を出すこと」ということが言われている。ここから出発せずに体の一部分を鍛えても、本当の力は発揮できない。更に、肉体の中心である臍下丹田を鍛えるには、相当の精神力、気概、根気を要する。言うなれば、動揺しない「不動心」を作っていくことだ。そして、昔の武士は「死の安心を得る」ということを実践してきたのであろう。
次に教えてくれるのは、相手が「まつらう」ときには、相手を許容するということだ。敵であった建御名方神についても許すだけではなく、「武神」としてお祀りしてしまう。日本では昔から、惻隠の情と呼ばれその立場を尊重する。このように戦いが終われば敵までも味方にしてしまうということは、武道の世界だけでなく、実社会で使えるものである。
本来、「武」というものは、社会生活と一体となっているものである。学歴社会の中で受験戦争も未だに存在する。社会人となっても、仕事をすれば交渉事は必ず起こる。また、近所付合いに於いても近隣問題が発生するなど枚挙に暇が無い。また、殺人や暴行等も巷にはあふれている。外交問題ひいては戦争だけが「武」ではないのだ。
役に立たないものをやることは自己満足に過ぎないと感ずる。私は、本来武道とは、実技・時事・教育等実生活に通ずるものであると感じている。
そのようにして先人の考え方から学びながら、武道の実技を行っていくことが現代の社会生活で有効なことではないかと感じている。これは、一朝一夕にできるものではないが、長い時間をかけて根気強く続けてこそ身につくものである。
その中でも至誠館では各科の錬成において、御祭神の尚武の御精神を体現すべく日々の錬成を行っている。それが至誠館においての武道と認識している。
稲葉 稔
昭和19年東京生まれ。明治大学卒。高校卒業時に合気会系本部道場に入門、植芝盛平氏に親近した島田和繁氏と出会う。その縁で山口清吾氏に入門。
昭和40年春、鹿島神流国井道之氏に入門、最晩年の教えを受け、歿後独自の武道探求をすすめる。神道思想家・葦津珍彦氏に師事し、日本思想、武士道を学ぶため神社新報記者となり、民族精神回復運動に関わる。48年10月至誠館の武道研修科師範となる。平成5年より同21年まで第二代至誠館館長を務め、現在名誉館長。
はじめに
武道で心身を鍛錬するといっても、武道とは何かが明らかでなければ、何をどのように鍛錬していくのかがわからないことになる。
そもそも柔道、剣道、弓道、合気道等がそのまま武道と称されるのはなぜか。道とは何か、術とは何か--。そこに良き指針、指導が必要になってくるわけだが、各人自らが実技の錬磨を通じて、武道とは何かを把握しなければ修行に身が入らない。
そこでここには、武道に志し、または興味を抱く読者諸君が、武道とはどのようなものかを考え、自分なりの武道観をもち、修行していくための指針となる材料を提供したい。まず、はじめにたたき台のつもりで私なりの武道の観念づけをしておきたい。
私は、現在の武道を次のように理解している。
武道とは、人生の戦いの中で、己の道を探し出し、その道を実践して行く生き方をいう。
――と。実践の中では、方法手段(戦闘術)の習熟と目的(高い志)達成の鍛錬が必要となってくるのは当然である。そこで武術、武士道の言葉を入れて次のように言うこともできる。
武道とは、生死を決する緊張感をもって自らの武士道を探求し、武術を練磨して、実践して行く生き方をいう。
――と。従って、武道の修行とは、<武術・術技>と<武士道・精神>の両者の修練・修養をさす。では、術と道の関係はいかなるものであるか。
術と道
武士道(精神)を探求、実践するなかで武術(方法手段)が必要となってくるから、道を求める中から術へ入っていくのも一つのあり方といえる。だが一般に武道場に入門してくる人々を見れば、武術の修練のなかから精神性を求めていく、つまり術から道へ入っていき、そこから術と道の関連を知って、両者相俟って向上していくというのが実際の進行というものであろう。
武道で、己の道を求めるとは、本性とか本心を知るということで、自らの精神的価値の探求をいい、日本の伝統的文化からいえば、武士道のなかに最もよくそれを見ることができる。時代をさかのぼれば、もののふの道、つはものの道、弓矢の道など、いわば民族国家の非常事態に発揮された日本精神(大和魂)の具現者としての武人の生き方の歴史が指標となってくる。だから日本の武人の精神と事跡を学び修めることが、日本人としての自らの本心、本性という深層心理を探求する時に最も重い意味をもつことになる。
そしてその道を実践するに際しては、事によっては戦い死することも辞さないと覚悟するのが武道の精神気概であろう。この生死を超越する気概をいかに養うか。
ここに武術鍛錬の特色がある。しかし武術のみが、その気概を養うというのではない。運動スポーツであっても、そのほかのものごとであっても、その人間の精神探求によってそうした気概を鍛錬することが出来ることは言うまでもない。
現代の武術
現代の武術は、昔の武士が実践の具として武術を鍛錬したのとは異なってきていて、より人格形成に重きがおかれている。しかし、これによって生死を決することはなくなった時代にあるにせよ、その術技が生死勝敗を決する中で生まれて、今も実戦力を秘めていることに変わりはない。その緊張感をもって鍛錬すれば、戦いの技と理を知り、生死を超越する気概を養うことはできると信ずる。ここに現代社会においても武術を練磨する最も大きな意味があると思う(現代の各種の「武道」は、道の語が使われているが精神の探求を失ってしまった状態では、変質した”体育スポーツ化した武術 ”というべきかもしれない)。
もちろん日常的に社会一般に見られる暴力沙汰は、昔とそう変わらず、武術はそのまま今の護身術としても役立つという面もある。さらには形にあらわれず、目に見えにくい現代の高度に発達した戦いであっても、究極的には、肉体を持つ人間の意志と意志との戦いであり、敵を知り己を知りながら敵の戦力を砕き、戦意を挫くという基本原理は変わらないから、目に見えない、音に聞こえない、いわば形のない戦いの具体的基礎感覚が得られる武術の役割は、今日なお大きなものがあるといえる。
しかも、あらたなる攻撃が生まれてあらたなる対応が求められる場合にせよ、その基礎をなすのは現在ある武術戦法である。時代を超越した武術的天才といえども、その創造はそれまでの既成の武術の修練の中から生まれてくることは、武術の歴史を見ても明らかであろう。
武道の探求
現代の武道は、今日役立つ武術を必要とする。それには、既成の武術の修練から現代に生かせる戦いの技と理法を学び習得して、それを応用し将来へ備えていくわけだが、その為には時と状況の認識も不可欠のもので、現代の科学技術の知識の習得も欠かせないものになってくる。
方法手段(技術)の取捨選択は、いずれにせよ自らの人生の目的を何におくかによって、つまり精神の求め方によって変わってくる。ましてや精神の実践となれば、総合的なもので、多様な選択修正をすることになり、結果的に一筋の道が出来てくるというものになってくる。
以上のことを踏まえて、現代に武道を探求するならば、次の三項目を挙げることができよう。
- 1)自らの高い精神的価値の探求
- ―― 現代の武士道の実践
- 2)生死を超えた気概の養成と、自己の生き方を全うするための方法手段の選択、習得
- ―― 武術の鍛錬、科学技術等の習得
- 3)時代状況の把握
- ―― 時事に通じ、国家社会の実践運動への参画
未知の探求、気概の養成と方法手段の習得、時事に通じて社会運動に参画することなどは、闘う人間にはいずれの時代にも共通したものであったと思うが、これらを称して武道の修行実践ということが出来るだろう。武道は、現実と乖離した精神性のみを論ずるものでもなく、状況をみながらその実現の手だてを追求していくことに本旨があって、単に体育スポーツの一術技というべきものではない。したがって、武道の修練・修養は、実戦的緊張感を持って精神・技術両面において不断に工夫されねばならないというのが私の基本的な考え方である。
しかしながら武道の現状は、一般的にいって日本民族の高貴なる伝統文化から離れて、大和魂の精華としての武士道精神を忘れ、体育スポーツの一術技に堕している。
真の武道の回復
現在の学校教育では、柔道、剣道、弓道等という体育武道の科目はあるが、日本精神修養を中核とした真の武道を教えるものにはなっていない。一般社会で云々される武道についても術の語と同義に解されて、精神性が欠如しているスポーツ化された競技武術に偏している。しかも社会文化面で海外へ普及して武道人口が増えているにせよ、武道がマーシャルアーツ(格闘技)と翻訳されているように、本来の武道からは遠ざかっていく方向に進んでいる。それらは文化伝統の面からいえば神棚のない(つまり精神性の探求のない)体育館道場に端的にあらわれている。
ここにおいて本来あるべき武道の姿を取り戻し、道と術の別と関連性を明らかにしつつ、両者の修養修練を積み重ねて、伝統文化としての武道を現代に回復していくべきであろう。そうしなければ、日本の文化伝統としての武道は死語になる。
では、真の武道の姿を取り戻すにはどうするか ―― 。
伝統文化の形をまず堅持し、日本の心を学び自らの心を覚醒して民族の魂を練る本来の武道にしていくことであろう。錬成は、民族の神々、武神への祈りに始まり、師弟、門人間に礼儀と信義があり、自らの道の探求があり、武術の鍛錬がある。そして鍛錬の場である神々を祀る武道場は、清浄、静謐なる環境を保つというのが、最低限必要な条件であろう。
心を失い、さらに形まで失われれば、伝統の復活はいよいよ困難になる。真の武道の姿を取り戻すには、いま残る武道の修行の形をまず堅持して、これ以上の衰退を止めること。あわせて現代に生きる武道を実践している指導者を探し求め、学ぶことであろう。
武が否定され、見失われ、しかも必要ないと一般に教育された時代状況の中での鍛錬の継続は、隆盛の中での探求とは異なった苦労や困難が伴う。敗戦、占領下において伝統的武道が否定される中でそうした苦難を経てきた指導者のもとで心身が鍛錬され、精神気概が養われ、術技が磨かれていけば、やがて現今の低迷を打破し、次なる文化を積極的に創造する民族の力が蓄えられていくことだろう。