明治神宮が出来る前はこの辺り一帯は南豊島御料地(皇室の所有地)といって、
現在の御苑一帯を除いては畑がほとんどで、荒れ地のような景観が続いていました。
「永遠の杜」づくり
明治天皇と昭憲皇太后をおまつりし、人々が静かに祈りを捧げる「永遠の杜」をつくるために第一線の学者たちが集められて計画がたてられました。
植栽する樹木はそのほとんどが献木で、全国から約10万本が奉献され、のべ11万人の青年が造営工事の勤労奉仕を行い、植林や参道づくりに汗を流してこの明治神宮の杜はつくられたのです。
照葉樹が主木
造営にあたり、本多静六、本郷高徳、上原敬二ら林学の専門家たちは、何を植えたら「永遠の杜」になるかを考え、将来的に椎・樫・楠などの照葉樹を主な構成木となるように植えることを決定したのです。
理由は大正時代、すでに東京では公害が進んでいて、都内の大木・老木が次々と枯れていったのでした。そこで百年先を見越して明治神宮には照葉樹でなければ育たないと結論づけたのでした。
ところが内閣総理大臣であった大隈重信首相は「神宮の森を薮にするのか、薮はよろしくない、杉林にするべきだ」として伊勢の神宮や日光東照宮の杉並木のような雄大で荘厳なものを望んでいました。
林苑関係者は断固として大隈重信の意見に反対し、谷間の水気が多いところでこそ杉は育つが、この代々木の地では不向き、杉が都会に適さないことを林学の見地から説明してようやく納得させたそうです。
昭和20年4月、空襲により明治神宮の社殿の多くが焼失しましたが、杜は人々の避難の場となり、大きな被害は出ませんでした。燃えやすい針葉樹ではなく、照葉樹だったために延焼を免れたのかもしれません。
大きく、豊かな杜に
明治神宮では鎮座五十年記念事業として、毎木調査を中心とした境内総合調査(昭和55年に報告書刊行)を、動物も含めた生物相を調査した鎮座百年記念第二次明治神宮境内総合調査(平成25年に報告書刊行)を実施し、この杜がどのように成長しているかを学術的に調査しています。
造営当初、在来木等を含め365種約12万本だった内苑の樹木は、第二次境内総合調査によると、234種約3万6千本となりました。自然淘汰され、木々は大きく成長したのです。
また、新種や絶滅危惧種、都内では珍しい動植物を含む約3千種の生物が報告され、話題を呼びました。
令和2年、明治神宮は鎮座百年祭を迎えました。
先人たちの熱い思いとまごころによってつくられ、育まれてきたこの杜を「永遠の杜」として次世代につないでいくため、
なにができるかを考えつづけていきたいものです。