遷宮の古法改訂を聴許されず
神風の伊勢の宮居のみやばしら
たてあらためむ年はきにけり
伊勢の神宮には20年に1度の式年遷宮があり、1300年前に天武天皇がこの制をお定めになってから今日まで62回の遷宮がなされております。
明治37年7月、内務大臣芳川顕正と宮内大臣田中光顕は侍従長の徳大寺実則を通して、
「神宮の式年遷宮は明治42年に近づいております。現在のところは用材がありますが、20年後の次の遷宮までに用材の成育は難しいと思われます。そこで、この度の造営にあたって柱を土中に立てる、いわゆる掘立柱の古法を改め、柱の下に礎石を置いてコンクリートで固めてしまえば200年は保てるでしょうし、その間に檜も成育して巨大な用材を得ることができるでしょう」
と、伝統ある古式の建築法を改めるように建言しました。
この意見は翌日明治天皇に伝えられました。しかし天皇はこの意見を却下され、すべて今までの様式でおこなうように指示なさいました。
はるかにもあふがぬ日なしわが國の
しづめとたてる伊勢のかみ垣
明治天皇が近代的な方法によって伊勢の神宮を造営するという意見をお聞きにならなかったのは、遷宮の制をお定めになった天武天皇の大御心(おおみごころ)を引き継がれ、悠久の昔より伝え来た日本文化を正しく守ろうという、尊いお考えがあったからに他なりません。
【遷宮の立柱祭】
(写真提供:神宮司庁)