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コラム「大和心」
タイトル
文ハ鉛槧(えんざん)ニ非ザルナリ
必ズ事ヲ処スルノ才アリ
武ハ剣楯(けんじゅん)ニ非ザルナリ
必ズ敵ヲ料(はか)ルノ智アリ
才智ノアルトコロ一ノミ

 学問というのは文筆の業(わざ)をいうのではない。必ず事を処するの才あることをいうのである。武というのは剣や楯をうまく使うことではないぞよ。必ず敵を知って、これに対応する知恵があることをいうのである。才能と知恵のあるところはただ一でそこがもとなのである。

(『南洲翁遺訓を読む』渡部昇一、致知出版社)

 今回の拙文では、傍点部分の「才智ノアルトコロ一ノミ」を取り上げてみたい。渡部昇一氏は、この西郷と庄内藩の関係を説明しながら藩公の酒井氏の解釈を次のように記している。

 酒井忠悌(ただやす)氏は文を学んで事に処する才も、武を学んで敵を料る智も同じだ、というのは真剣に学べばどちらも、「腰に帰すること故、所在同一だ」と述べておられます。

と。文を「事に処する才」、武を「敵を料る智」と文武兼備を表わし、しかもその「才智ノアルトコロ一」として、それを「腰」と理解する点は、武士の歴史的修養から出てくる言葉で卓識と思う。また、この腰を、腹を練るあるいは下腹丹田の呼吸と表現することもできて深い意味が感ぜられる。

 以下、この武術的鍛練でできてくる腰、腹、丹田呼吸(気息といってもよい)を踏まえて、老化を防ぐ闘いについてその実践・修養の方向性(心のもち方)を考えてみたい。近年とくに65歳以上の門人が増え、小生も70歳の古希に達したこともあり、それなりに老化の中の修練を工夫しておく必要があるからである。

人の生まるるや柔弱、
其の死するや堅強なり。
万物草木の生ずるや柔脆(じゅうぜい)
其の死するや枯槁(ここう)す。
故に堅強なる者は死の徒、
柔弱なる者は生の徒なり。
(『老子』福永光司、中国古典選 朝日新聞社)

 上は、中国周代の道家の祖といわれる老子(道徳経)にみえる生、死についての言葉である。人の生まるる状を柔弱≠ニ表現し、其の死する状を堅強≠ニとらえている。次に「万物草木の生ずる」を柔脆≠ニし、「其の死する」を枯槁≠ニ表現している。つまり、
 生―柔弱―柔脆(やわらかくもろいこと)
 死―堅強―枯槁(かれること)
と、とらえていて、よくその特徴をあらわしている。

 柔弱なる「生」は、堅強・枯槁の「死」に近づいて行き、その前に「老化」がくる。それは避けることはできないが、その速度を遅くすることで、時間をかせぐことができる。

 しかし、それは単に時を多少遅らせるにしても、心(意志)、気(気概)、力(体力)の修養はそれぞれの時期で必要で、やはり三者一体(心気力一致)の工夫が必要だ。

 それを一語であらわすなら、武道修練の極意死の安心≠得る
 腹でする呼吸
ということができよう。明治維新の剣豪・山岡鉄舟は胃ガンで53歳で病死するが、死ぬ直前まで剣の修練を怠らず、「腹張って苦しきなかに明烏(あけがらす)」という辞世の句を残した。

 老化を防ぐ闘いは、呼吸による生命力の延長で、柔の道ともいえる。その実行の核心は、堅強、枯槁を遠ざけて、柔弱、柔脆を守ること。それには至柔の水、上善の水との関連が重要になってくる。至柔の水との関係で、からだ全体の柔を守る。そこには腹でする呼吸(気息)との関係が出てくるといえるのではないか。

 以下、至柔の水で練るからだと、気息の大切さについて記したい。

 ここに言う柔(やわら)は、老子の

天下に水より柔弱なるは莫(な)し
弱の強に勝ち、柔の剛に勝つは、
天下知らざるは莫きも、
能く行う莫し

から取っている。柔を守るを強と曰うは、柔術でも最も特徴的な表現であろうが、柔よく剛を制すとの言葉はよく使われるが、「能く行う莫し」に重きがあり、修練の難しさがある。
 さらに水については次の文言がある。

上善は水の若(ごと)し。
水は善く万物を利して争わず、
衆人の悪(にく)む所に処(お)る。
故に道に幾(ちか)し。

 と。そしてこの至柔の水は、どんな隙間のないところでも自由にしのびこむ(つまり堅いのもを溶かす)。

世の中でこの上なく柔かなもの、
すなわち水は、世の中でこの上なく堅いもの、
すなわち金石をも思いのままに動かし、
己の定形をもたぬもの、
すなわち水は、
どんな隙間のないところでも自由にしのびこむ。―

 まさに至柔の水(から生まれた体)は、敵の攻撃を無にし、敵愾(てきがい)心をもなくさせるということができる。

 私の武道修練の経験(幼い頃の海水浴に始まり、プールでの泳ぎと古流泳法、スキー、相撲、ボクシング、フェンシング、射撃など)から顧みて、この天下の至柔の水こそは、心を含むからだづくりの基盤となるもので、武道の心身のやわらみの修練の核心といえるのではないか。そしてその鍛練の結果は臍下丹田、腹でする呼吸(気息)といってよく、それは意識下に訓練して備わってくる気息≠ナ、まさに文武の才智のあるところ一つ、ハラ、腰といえるだろう。

 宇宙のはたらきといわないまでも、地球の大気の動きの中での呼吸≠フ循環。そして小宇宙とも称される人間生物としての営みの中での気息―胸呼吸と腹(気海丹田)呼吸―を考えてみると、この世に生命をうけて、その生を全うして死に到る間の呼吸はもちろんのこと、死の直前の老化に対してもその最も重要なる修練は、死の堅強・枯槁を避けて、至柔の水との関係を保持することを心がけることと言ってよいだろう。その実修は、意識した呼吸を中心にして、大気の動きの中で心身を修養することといえるが、さらには至柔の水との関連で体の柔軟さを保つことも重要となってくるだろう。

 つまり死の堅強を避け、生の至柔をめざして、丹田腹式呼吸を工夫するといえるだろう。

 意識して修養する呼吸法(気息)は、柔道や剣道、弓道そして合気道、空手、さらには古流泳法(踏水、立泳ぎ、浮身、潜水など)を綜合して修練する中で、その重要性を体感することができてくるが、天下の至柔の水≠ニの関係については、それを頭で理解できても、実際に至柔の水≠フ中で、武道的心身を訓練する人は少ないのではないか。逆に水泳を得意とする人でも、陸の上の大気の中で、その特徴をいかし対処しうるか否かは疑問で、それなりに重点的な修練が必要となるだろう。誰でもが理解しうることであっても、実行・実践している人はごく少ないのではないか。さきに記した老子の「天下に知らざるは莫きも能く行う莫し」の言葉はとても重い。

 胎児のときの成長は、人類の生命の進化の過程と同じとの衝撃的な生物学の本(『胎児の世界』三木茂夫著、中公新書)があるが、人間が生命をさずかって、十月十日の間、母親の胎内(羊水の中)で成長して行く過程を考えれば、至柔の水の中でのからだの成長と呼吸(気息)の働きこそ生命力の発展保持の源泉といえるもので、それが人生の最終段階での老化の闘いでもその体験の重要性は、変わらないことではないか―。

 神道でいう振魂(ふりたま)・鎮魂(ちんこん)・帰神にともなう呼吸にこそ、生命力の生と死、そして老化に対する修練の道があるのではないか。

 呼吸法については、水の中でのヨガの呼吸法や、老臭を消すヨガ呼吸などもあるし、座禅で頭の先から足裏でする、からだ全体の呼吸も名が知れている。武道の修練のみならずスポーツ各種、お茶、お花、舞踊など文化的な習い事であっても、呼吸・息づかいこそは奥妙を知る大事な教えとなっている。

 以上、こうしたことを踏まえながら、高齢化時代にあった老化を防ぐ修練として、柔を守るを強とする考え方を基底として、至柔の水と気息を中心にした心身のつくりを心がけるとよいと思う。高齢者の稽古は、まさにこうした点に重点をおいて、修練するとよいだろう。実はそれは高齢者に限ったことではないと思うのだが――。(み)

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