メニュー
明治神宮ロゴ
メニュー
コラム「大和心」
タイトル

 安倍内閣は、7月1日「国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障制度の整備について」という閣議決定をした。

 ここでいう「国の存立を全うする」とはどういうことか。本来、このことが明確にならなくては、そのための手段である制度の是非を論ずることはできない。

 閣議決定の内容をみると、まず、ここでいう「(我が)国」というのは戦後の日本憲法下の「国」であって、防衛努力をせず経済大国として栄え国際機関と連携して活動していることをもって「平和国家」と自称しているものをさしている。

 結論から言えば、今後も最小限の防衛努力で経済繁栄に与る自称「平和国家」でありたいといっている。最小限の防衛努力とは、米国の威を借りて自ら戦闘はしないということである。

 続いて、国際環境が変化し続け、脅威とリスクが多様化し、平和は一国のみで守ることはできず、国際社会が、わが国に相応の積極的役割を果たすことを期待しているとしている。

 ここの説明はあまりにも抽象的に過ぎる。世界が、どのような方向性を持って変化しているのか、脅威とリスクは何をターゲットにしているのかという国際常識、つまり、欧米諸国は、市場原理を中核にした世界秩序の構築へと向かっていることと、それを妨げる思想と行為を脅威とかリスクと呼んでいること。したがって、多様な脅威とリスクは市場原理主義活動をターゲットにしているということだ。

 また、ここでいう国際社会とは、米国を中心とする市場主義の立場をとる諸国や国際機関と企業・投資家であって、そうした市場プレイヤーの中には、恩恵のみを享受する日本に対する批判と軽蔑が存在することをさしていると思われる。

 その上で、政府として、米国との協力体制を強化するため防衛力を適切に整備、維持、運用することがうたわれている。

いわゆるグレーゾーン、領域警備

 具体論では、最初に「武力攻撃に至らない侵略への対処」が述べられているが、自国の対応としては現行の法体制の中での態勢整備や訓練、官庁間の調整について述べているだけだ。領域警備についての自衛隊の権限強化については全く述べられていない(治安出動と海上警備行動のみ)。

 それにもかかわらず、領域警備とは全く関係のない米軍部隊への攻撃に自衛隊が武器を使用して防護に当たることが記されている。自衛隊が直接領域を警備する権限規定がないのに米軍防護のために権限を新たに付与するというのはきわめて不自然である。

 まずもって、領域警備任務を自衛隊に与えるのが本来のあり方である。航空自衛隊は領空侵犯に対する対処権限を有しているが、陸上自衛隊と海上自衛隊は権限がない。治安出動や海上警備行動は警察権の範疇であり、つまり国内法に根拠を置く治安権限の発動だ。しかし、領土紛争は国際係争でお互いの国が相手国の国内法が及ばない領域と主張しているのであるから、こうした係争では国家主権の発動としての領域警備行動でなくてはならない。

 なぜに、自衛隊に自国警備の任を与えず、米軍警備の任を与えるのか。

自衛隊の国際活動

 ここでは、いわゆる後方支援と「武力の行使の一体化」についてと、「駆けつけ警護」の問題が取り上げられている。

 自衛隊は、カンボジアPKO以来海外の活動を展開してきた。しかし、行けば行くほど国威を辱め、先人が命を犠牲にして築き上げた「武の国」の威厳は貶められている。

 日露戦争でロシア第8軍団に従軍記者として随行したイギリス人マッカラーは日本兵を「なんと言う獰猛なやつらだ。日本人ぐらい恐ろしいものはおそらくこの世に又とあるまい。何たる超人間的の猛勇だろう。何たる超自然の不撓不屈だろう。私は縷々、髭もないスベスベした不恰好な寝ぼけたような顔の奴等が、軍服を着て上野公園を散歩しているのに出会ったことはあるが、それがこんな狂暴的な戦闘をやるとは夢にも思っていなかった。この剽悍無比なる人種に対しては、われわれ英国人もフランス人も、ロシア人も、人間たる者からは、なんらの施すべき策も無いのではなかろうか。自体彼らは「死」というものに対する観念は、われらが夕立にあって困る位にも思っていないのだろう!」と評した。

 いまや、憲法の制約によって、自衛隊が海外に行くときは、どこか他の国の兵隊に警備をしてもらわないとキャンプも張れない。自衛官がいくら憲法や国内法の説明をしたところで、そんな非常識な説明をまともに聞いてくれる兵隊などいるはずも無い。「なんて臆病なやつらだ!」「いい迷惑だ!」「何しにきたんだ!」ということになる。平和憲法が世界で評価されているなどという話は全くの嘘だ。努力もせずお金もかけず、憲法にそう書いただけで平和が獲得できるというのならば、日本の憲法の真似をして平和を謳歌している国がいっぱい在るはずではないか。大体日本の国の憲法を知っているという外人に会ったことは一度も無い。

 今回の後方支援と武力行使の「一体化論」は、従来同様、世界のどこの国も絶対に認めない理論のままである。軍隊においては、世界共通で「現に戦闘を行っている現場」に出向いて後方支援するやり方を「前方交付・前方整備」等といい、「現に戦闘行為を行っている現場ではない場所」で実施する後方支援のやり方を「補給所交付・後送整備」などと言う。いずれも戦術用語で作戦の一形態だ。

 やるなら憲法を改正してやるべきだ、これ以上海外で自衛官が辱めを受けることはやめるべきだ。

 「駆けつけ警護」などと言うのは、国際任務を請け負った以上当たり前の話である。同じ目的で活動している民間人や他国部隊、あるいは、自衛隊部隊キャンプ近傍の支援対象の当該国の市民の生命が脅かされ、それを助ける能力があるにもかかわらず助けないというのは、非人道的で人間として恥ずべき行為である。しかし、それを憲法と法律で規制していること自体、日本国民は恥じるべきである。

集団的自衛権

 つまり、現憲法の平和思想を例えるならば、町内で物騒な事件が多発するので各家から交代で警備に出てくださいといわれて「私は危ないことはやらないことにしていますからできません」といって、他の人たちが警備に出ている間も商売に専念し、自分は平和主義だと嘯いているような卑怯な考えだ。自分勝手でわがままな性質の日本人がこの憲法によって作り出される。

 日本は、神武建国以来「八紘為宇」の実践を国家の理念としてきた。共助の家を世界に広めるのが目的だ。共助には自己犠牲が必要である。明治天皇の御製「おのが身は かへりみずして人のため 尽くすぞ人のつとめなりける」にあるように、自己犠牲を惜しまず「世のため人のため」力を尽くすことを国民倫理としてきた。その目的は、人々が一体となって成長発展をきたす、共助共生社会の実現を期することである。

 集団的自衛権の問題もここにある。何の目的で、米国あるいはその他の諸国家とともに軍事力を行使するのかということだ。その目的が、「八紘為宇」にあるのならどの国よりも積極果敢に行動すべきである。その目的なら、喜んで犠牲になる日本人はいっぱいいる。しかし、自由競争で勝ったものが権力と富を独占するようなことのためであれば、逆に、それと闘わなくてはならない。真の敵はそこにある。

 はじめに、「国の存立を全うする」とはどういうことか、と問うたが、国は、領土、国民、主権などと言う無味無色の概念的存在ではない。そのようなものを存立させたいのであれば、外国人だろうが日本国籍をとって経営すればいいということになる。国とは歴史的文化的基盤の上に、共通の社会価値通念を形成する集団が共同して運営する自立した社会で、日本は、神武建国以来万世一系の天皇陛下と国民が君民一体となって築き上げてきた唯一無二の国家である。この伝統的文化国家日本の存立を全うできるかできないかが、この問題の是非の判断とならなくてはいけない。

 井伊直弼は、もともとは過激な攘夷思想を持っていた。しかし、幕府の責任職に就くや否や列強の武力による圧力に屈して、へっぴり腰で開港条約を結ばされた。他方、これに反対する国内の声は実力を持って封殺し、孝明天皇の命がけの御祈願を全く無視するなど、天皇と国民には強硬な姿勢を持ってあたった。結局、井伊は、外国の威を幕府権力の安定強化に利用しようとした。しかし、これが直接的原因で、幕府の威信は失墜し、維新の運動は激烈に力を増していったのである。教訓とすべき歴史の一幕といえる。(あ)

-大和心トップに戻る-

サイトマップ お問い合わせ Q&A 明治神宮外苑 明治神宮の結婚式 刊行物の御案内 崇敬会について 武道場 至誠館 国際神道文化研究所 宝物殿 明治神宮へのアクセス 明治神宮の自然、みどころ ご参拝されるかたへ 祭典と行事 明治神宮とは トップページへ 最新情報 至誠館の歩み 図書紹介 入門案内・施設概要・地図 コラム「大和心」 武道とはなにか 寄稿「私と武道」 海外要人の来訪 各課の鍛錬時間 年間行事とお知らせ 国際交流 至誠会(門人の会)便り