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コラム「大和心」
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 今年も、多くの海外の武道家達が、武道を通じた精神文化研修にやってきている。

 彼らの強い希望もあって、研修の一環として、古くから関東の霊山として信仰されてきた東京都青梅市にある御岳山(みたけさん)の修行禊の滝で「禊行」を経験させている。武道と禊行が深いところで繋がっているからだ。

武道の根本にある神道的復元の原理
 日本武道の究極的な目的の一つは、相対する者同士が、お互いの戦意を鎮め、共生の道を探ることであろう。もちろん武術では相手を倒し、殺傷することのでき る技術を習得するが、その目的は相手を殺傷し排除することではなく、敵対行為を無力化し、敵対した者さえ包容同化して共生の道を示すことである。

 こうした考えの前提には、「そもそも世界や宇宙は一体として生成したのだから、対立状態は不自然なものであり、対立のない状態に戻り、共に助け合いながら生きることこそ自然本来の姿である」という日本的考えが存在する。

 だからこそ「戦い」という究極の対立状態の中でさえも、相手と共存共栄する関係に復帰することができる、という考えに基づいている。

 仲の良い夫婦や親子であっても喧嘩をするように、本来は和して一体である相手と一時的に対立状態になることは不思議なことではない。そうした状態を本来の「和する」状態に戻せばよいわけであり、「敵対者とも元々は一体である」と捉えるのだ。

 このように、「対立があってはならない」と否定するのではなく、対立がおきたら和する方向へ導くという発想が日本の精神文化の中に存在する。

 自然においても、包み込むように心を慰めてくれる優しく豊な自然と、総てを瞬く間に破壊する荒々しい自然は一体のものである。人間の願望だけで、片方を否定することは、極めて不自然で勝手なことである。

 平和を享受することのみ正しいとし、紛争を否定したところで空虚である。紛争状態を平和な状態へと導くことを真剣に考え力を尽くすことこそが必要なのだ。

 そして武道とは、この対立から和へ向ける運動を主体的・意識的に働かせる矯正作用であり、他者を敗北させ撲滅するところに平和はなく、勝者が敗者を、強者が弱者を救済するところにこそ真の平和があることを悟る道である。

 大自然を受け容れ「一騎当千」の心境を醸成する禊
 しかし人間同士が向き合う場合、どうしても「相手に勝利したい」「相手に打ち勝とう」「あいつには勝てる」という期待感や強制排除の誘惑が働いてしまう。特にリング上や武道場という閉鎖的な空間で一対一で向き合えば、そのような心境になる方が自然でさえある。

 武道は「礼に始まり礼に終わる」と言われるが、それは「本来の目的が戦いではなく、和して共生する」ということを、形に顕したものだとも言える。

 普段の稽古においては、利己的で対立的な心境に陥ることを避けるため、道場稽古の作法として、全員で神棚に向かって気持ちを一つにして礼をする。経験を積 んだ上級者であろうと始めたばかりの初心者であろうと皆、神棚に拝礼をしてから、お互いに礼をして稽古を始め、お互いの成長を図りながら、最後も皆一緒に 拝礼をして終わる。

 この作法は、一般的には「礼を大事にする」とか「油断のないように」と説明されているが、その礼の本質的な意味とは「対立的な心境を抑制」し、自己本位の精神を道場に持ち込まないようにすることであろう。

 しかし、実際には、敵意のある相手や殺意を持った敵対者と相対した時に、そのような心境になり得るかというと、非常に難しいのが現実である。人対人の関係では「相手を潰す」「相手に打ち勝つ」という敵対的な気持ちが芽生え、衝突することになるからだ。

 ところが、山や海などの大自然を相手にした場合はどうだろうか。大自然の圧倒的な力の前に、人間が自然に打ち勝とうなどという意識は遠のき、人は素直になる。

 厳しい山中や荒れた海、冷たい滝などのもの凄いエネルギーの中に身を置き、寒さ、冷たさに耐えるという対立的心境を乗り越えた時に、自然を受け入れ、その 中で自分の生きる場所を見出すことを体感、体得することができる。歯が立ちようもない環境の中に自ら身を置くことで、その環境と一体となり、大自然の中で の自己の居場所を得る心境に達するのである。

 実際に禊を体験した海外門人の感想を聞くと、「禊行に参加する前は、冷たい滝の水に打たれる恐怖と不安でいっぱいだった。しかし、道彦に導かれるように振 魂(ふりたま)、鳥船(とりふね)、雄建(おたけび)、雄詰(おころび)、気吹(いぶき)とすすむうちに皆と心が一つになり、不安がなくなっていった。滝 の下の岩に背中をつけると滝の水が体を流れる感覚が全身を覆っていった。自然と一体になれた。本当に清らかな、はじめての感覚だった。」という。参加した 全員が、同じように理屈を超えた内なる自然の自覚を口にする。そして、生命の根源を感じるという。

 このようなことは、人工的には作り得ない貴重な修養の場であり、これこそ自然の中で禊をすることの意味である。

 そしてこの心境は、武道で言う「一騎当千」の精神に結び付くものでもある。戦いにおいて、一対一なら、当然勝敗にこだわる。二人や三人ぐらいまでなら戦技 と戦術を工夫して勝利を目指す。ところが、百人の相手に対した時には、武術の技をどう使うかという技術論や戦術論で対応するのは不可能である。こうした場 合、精神において多数の相手一人ひとりの心に感動として透徹することを考えざるを得ない。勝敗と無関係に、百人千人の敵であろうと我行かんという気概・気 力を示すのである。

 この気概と気力を鍛練するためには、大自然を相手にしなくては修養できない。大自然のエネルギーを受け入れ、自然と宇宙と歴史と一体となる体験をすれば、「人間千人に対する」ことが特殊なものではなくなる。一騎当千の気概とはここから生まれてくるのだとおもう。(あ)

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