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コラム「大和心」
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明治神宮では当日、奉祝の神輿が大前まで渡御します

 明治6年1月29日、明治天ほ皇は、神武天皇即位の佳節の祭儀祝典を執り行った。その後、賜宴の儀が挙行され、「紀元節賜■(しほ)の勅語」(■は酉へんに「甫」)をお下しになり臣下の人々と神武建国をお祝いされた。

 明治6年10月14日には、「太政官布告第三百四十四號」により、祝日として、「紀元節」(2月11日)、が定められた。「紀元節」は、主に宮中での祭儀祝典として執り行われていたが、その後、全国の神社でも祭典が執り行われるようになり、自然的に、日本国民が天皇陛下とともに祝う建国祭として定着していた。しかし、米占領下の昭和23年7月20日、「國民の祝日に関する法律」が公布され中断のやむなきに至った。

 その後、現在の「日本会議」の前身である「日本を守る会」等の熱心な国民運動により、昭和41年6月25日、「国民の祝日に関する法律」の一部が改正され「建国記念の日」として復活し今日に至っている。

 今年も、その「建国記念の日」を迎え、国民有志は全国で皇居におわします天皇陛下とともに盛大にお祝いをする。日本国の誕生日を君民ともにお祝いをしたいという日本人としての自然の心の顕れである。心ある国民は、「建国記念の日」である以上、当然ながら政府が主催する式典行事があってしかるべきと念願している。しかしながら、これまで政府は、この国家の祝日にたいして冷たい態度をとってきた。

 昨年4月28日、政府主催の「主権回復の日」を祝う記念式典が開催された。これは、自民党が先の衆院選の総合政策集「Jファイル」で「2月11日の『建国記念の日』、2月22日を『竹島の日』として、4月28日を『主権回復の日』として政府主催の式典として開催することを検討する」としたことのひとつを実行したということであろう。

 安倍首相は、この式典の開催趣旨について、「我が国による国際社会の平和と繁栄への責任ある貢献の意義を確認するとともに、これまでの経験と教訓を生かし、我が国の未来を切り開く決意を確固としたものとするため」と国会で答弁し、同式典の挨拶では、「日本を、私たちの大切な国を、もっと良い美しい国にしていく責任を負っています。より良い世界をつくるため進んで貢献する、誇りある国にしていく責任が私たちにはあるのだと思います」と述べた。こうした経緯から、今年こそ、「建国記念の日」を政府主催で祝う式典が開催されるであろうと大いなる期待を寄せている多くの国民がいるはずだ。

 注意を要するのは、安倍首相が「主権回復の日」で述べた、「我々日本人の国内外での責任とその決意」という言葉には、捉え方によっては大きな違いがあるということだ。

 現在の日本国民の中には、戦後日本は新しい国家として生まれ変わったと考えている人達がいる。米占領時代にGHQ民政局内の改憲作業チームが、僅か一週間で作成された現憲法によって、あたかも英国史の権利の章典や米国の独立宣言のように、新たな国体思想で新たな国家建設がなされたと見ている人たちだ。

 この憲法を作成した改憲チームの一員であったルース・エラーマンの書き残した日誌には「日本の歴史を書き換えるという名状しがたい情熱に取りつかれた」とある。つまり、この憲法を起草した米スタッフは、日本の歴史と伝統を否定し、新しい日本を作ろうとしたことは確かであろう。

 また、開戦当時、駐米大使で日本の宣戦布告を米国に通知せず、日本に歴史的汚名をきせ米国民の日本人に対する憎悪と敵対心を煽り、戦後は、占領米軍の指示に従い海上自衛隊の前身である海上警備隊を整備し朝鮮戦争に動員させ、その後、参議院議員として自由民主党の防衛政策を担当、外交調査会会長を務め、党参議院議員会長にも就任した野村吉三郎海軍大将などは、日本占領中の米海軍提督に次のような手紙を送っている。

 新憲法は次の議会に提出されることでしょう。それは、文字通り、日本の無血革命と言えるかもしれません。マッカーサー将軍はとても気高いお考えと目標をもって素晴らしい仕事をなさっています。率直に申し上げて、彼のような素晴らしい最高司令官を迎えられて我々は幸運です。自力で日本の安定化を図ることができる前に、貴国の国内事情によって占領軍が早期に引き揚げてしまうのではと私は心配しています(抄)

 戦後日本の要職についた人たちの中には、野村氏のように、米国の新憲法による統治を日本の無血革命(戦争犠牲者や占領下の犠牲者を無視した言葉)として悦んだ人達がいたことを考えれば、左翼陣営に限らず、保守と称している人たちの中にも相当数、戦後の日本は、米国の手で生まれ変わったと歓迎している人がいるのだろう。このような人たちは、「我々日本人の国内外での責任とその決意」という安倍首相の言葉を、戦後の日米関係の枠組みの中での「責任と決意」すなわち、「米国の戦略の中での日本の責任を果たそうとする決意」と認識しているにちがいない。

 さて、話を元に戻すが、自民党が公約として掲げる3つの式典「建国記念の日」「主権回復の日」「竹島の日」はいずれも重要な課題ではあるが、同等に考えるべきものではない。

 主権や領土という概念は、西欧史で生まれたもので、1648年、宗教戦争である三十年戦争の講和条約として、ヴェストファーレン条約が締結された結果、主権国家体制が形成されたことによる。その後、英国などがこの概念を国際法と称して「先占」権を正当化し、世界の植民地化に利用した。その結果、世界の国々の伝統的生活空間が、人工的に引かれた排他的国境線で区切られることになった。

 明治の初期、日本では、外交をめぐって国家運営の基本的思想の対決があった。欧米と同じように合理主義的立場から国勢の進展を主張する大久保らと、東洋的道義主義を貫こうとする西郷らの対立である。結果は、大久保ら西洋合理主義を主張する側が勝利し政権を独占するに至った。それは必然的に大東亜戦争へと行き着くこととなる。

 他方、西郷の東洋道義思想を継承する頭山満等は、アジアの同胞に「大アジア主義」を呼びかけ民族自決(被殖民状態からの独立)を支援する在野での活動を展開した。主権や領土を振りかざす外交姿勢ではなく、自立した民族が相互に敬意を持って共栄共存する外交姿勢を主張し実行したのである。

 このような西郷、頭山らの思想的継承者としての立場からすれば、現状の主権と領土問題は、重要政策課題ではあるが、いかに解決するかについては大いに議論があってしかるべき課題であるといえる。

 一方、『建国記念の日』に関していえば、国民が日本の起源(アイデンティティー)を確認する日である。神武建国の理念、天の下を一つの家と為す「八紘為宇」に立ち返り、国家の現状を顧みる極めて重要な意義を有する日なのだ。現代では「おもてなし」や「心遣い」とか「絆」とかいわれているものも、「八紘為宇」の一端で、日本が世界に誇る生きた東洋的道義主義である。

 この観点からは、安倍首相が唱える「積極的平和主義」もまた、神武天皇が即位の詔で下した「皇孫の正を養ひたまえふ心を弘めむ」の実践でなくてはならない。すなわち、私たち日本国民は、大御心(おおみごころ)と一体となって、建国の理想である「八紘為宇」を日々実践し、国内のみならず、すすんで世界の人々とも力を合わせ「八紘為宇」の理想を広く世界に及ぼし、人々が家族のように暮らす、よりよい世界を創ることに貢献するということだ。

 戦後の日本は米国の手で生まれ変わったと歓迎している人たちにとって「建国記念の日」を政府主催で執り行うということは、決して認めることはできないだろう。しかし、そこを変えなくては、本当に、日本国の起源が米占領下の憲法公布日となってしまう。また、憲法改正も、神武建国の理念を源としないのであれば、現憲法体制の強化につながるおそれがある。

 私たち伝統を重んじる日本国民は、記紀に記された日本神話を起源として、我々の祖先が、世々の歴史を通じ尊いものとして伝えてきた美徳を、正しく理解し、それを国の内外において実践し、また、末永く子孫へと伝えていきたいと思う。

 この伝統の美徳は、いつの世も、天津日継高座(あまつひつぎのたかみくら)におわします皇孫たる天皇陛下が国民にお示しになってきたもので、日本の歴史を築いてきた我々祖先の遺風の中に伝統文化慣習として生きているものである。

 「建国記念の日」を祝うに当たり、私たち日本国民は、神武建国以来の美徳の継承者たることを自覚し、天皇陛下と共にそれぞれの立場で「八紘為宇」を実践し、心を一つにして国家と世界の発展に力を尽くしたいと願う。(あ)

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