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コラム「大和心」


 鎌倉幕府が滅びて南北朝時代、南朝の名臣と謳われた北畠親房は、『神皇正統記』を著した。その冒頭は、

  大日本は神国(かみのくに)なり

で始まっている。神国という語は、神仏習合の際の仏教者からの影響が強いが、親房の言う意味は次につづく言葉からも明らかである。

  天祖(国常立尊=くにのとこたちのみこと)始て基を開き、
  日神(=ひのかみ、天照大御神)長く統を伝へ給ふ。
  我国のみ此事有り。異朝(外国の朝廷)には其類無し。
  此故に神国と云ふ也


 つまり天神地祇(あまつかみ・くにつかみ)の国づくりの神話から連綿として続く万世一系の天皇が統治される国という意味である。そのことを日本の国体とあらわした。先の自存自衛の大戦で未曾有の敗北を喫する中で日本民族にとって最後に守るべきものは何かと追いつめられたときに、「国体の護持」として表現されたもの。より具体的に言えば、天神地祇、皇室の皇祖皇宗への祭りと言ってもよいだろう。

 ここにこそ日本の武道の本源がある。だが、戦後の武道はまったくわからなくなった。

 去る2月11日の紀元節、今の建国記念の日奉祝の意義は、この日本国と大和民族の本義を心新たにして祝日の意味を明らかにすることである。

 次に時代は下って、徳川政権末期、西洋からの文明が大きく展開して、鎖国から開国へと回天して行く幕末維新期。尊皇攘夷を唱えたのは、水戸学の会沢正志斎で、維新の志士たちに最も影響を与えたといわれるが、国学者の影響も強いものがある。

 アメリカ合衆国艦隊の提督ペリーが浦賀に現れて砲艦外交で開国を迫り、武家政権にもかかわらず逡巡萎縮して屈辱的外交となったときに、国学者の平田篤胤に学んだ大國隆正は、『文武虚実論』を著して、真の文武とは何かを論じた。それは、

  日本国は、武国(ぶのくに)なり
  これによりて武道あり

に始まっている。明治維新で西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允の三英傑に並ぶ実力者の岩倉具視を精神思想面で指導したのは、この大國隆正の弟子の玉松操という国学者であるが、太政官(だじょうかん=国政の最高機関)の上に神祇官を復活し、維新政府は神武創業に還れと唱え、一時大きな影響を与えた。大國隆正はなかなかにスケールの大きい人で地球規模の思考ができる人と言ってよい。日本国は武の国で、これによりて「武道あり」という。しかし真の武道を知らないから云々(うんぬん)とつづく――

  今人はその武道のよりておこれるみなもとをしらず
  ある人いふ。今の武士は柔弱にして
  物の用にたちがたしといへり
  隆正いふ、然(しか)らず。
  いまの武士はことごとく用いうべし。
  これを用いんとならば、神道必勝の道をしらしめて後に、
  これを用いつべきなり。

 では、この物の用にたたない武士をことごとく用いることができる“神道必勝の道”とは何か――。これこそ神道と武道の文武の探求で、神殿のある武道場での不断の鍛錬の賜物といえるが、隆正は以下の考えを示す。

  神武天皇紀に、志必ズ克(カ)タンコトヲ存(シ)ル、といふ文
   あり。これやがて神道必勝の道をしるしさせたまへるもの
   になん。たとひ剛強の武夫にても、神道必勝の道をしら
   ずして戦場にむかふは危きことならん。今ここに神道必
   勝の道をあらわして、日本国の武道に本源あることをし
   らしめんとす。

と。まず、志を固め必勝の気概を以て、実現を期すことが第一と教えているが、以下神道必勝の道をあらわしつつ、武道の本源にせまっているのは、興味深い神道的な武道の精神修養論といえるだろう。

 現下、日本の国情を憂い、明治維新の志士たちにあこがれ、武士道的精神気概の養成を強く求める声は大きいが、その一つの具体案として、武道の奨励が叫ばれている。

 スポーツ化し、体育化した武道がどれほど役立つのか。でも隆正流に、神道必勝の道をしらしめ、武道に本源あることをしらしめれば、「ことごとく用いうべし」となるのではないか。

 その心情の根底に、日本国は永遠に続く神の国、武の国という大和魂がなくてはならないのはいうまでもない。(い)

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