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コラム「大和心」

 このところ、なにかにつけ麻生総理の決断力について取り上げられることが多い。他人の決断を批評するのはたやすいが、総理に限らず、誰もが一生の間に大きな「決断力」が求められるときがある。しかし、最近の世相を見ると、決断できない人が増加傾向にあるようである。

一般的に決断といえば、自分の態度を明らかにして実行することだが、この決断が鈍る原因には2つのパターンが考えられる。一つは、やるべきこと自体が決まらない場合。もう一つは、やるべきことは分かっていても、それに伴う犠牲やリスクを考えると明確な態度を取れないという場合である。前者は、自分の価値観が確立されていない初学の段階であるので割愛し、後者について考えてみたい。

「決断」とは、文字のごとく「断つことを決める」わけだから、何をやるかということ以上に、何を断つかということに力点がある。平素より、金品・財産、恋愛、地位、評判、食い物等に執着が強いと、これを断ち切る決断は難しくなる。さらに悪いのは、この執着心を満たすため良心を立つ決断だけは躊躇なく即決する類の人間、すなわち、正気を断ち我が身の利益を最優先に考える輩である。このような輩が多くなると、世の中は邪気に覆われる。

 惨なるは心死(しんし)より惨なるはなし。けだし身死して心(こころ)死せざるものは古聖賢の徒、不朽の人なり

 とは、吉田松陰のことばであるが、現状の日本では、これと正反対に「心を断ち自己利益のみを求める」輩があちらこちらに巣食い、社会の正気を覆い隠しているようだ。少し前までは、「世のため人のために働く」ことを誇りとした日本人が、「自分のため」に好き勝手なことをすることは当たり前だというようになってしまった。自己の利益を中心に考える人は、世の中の景気がいい時は儲け話を決めるだけですんだものが、景気が悪くなり利欲を断つ判断に迫られると決断できなくなる。決断できない人が増加してきた背景には、このように、自己中心主義と世の不景気が影響していると思われる。

自己中心的考えの罪穢れが世の中にかくも甚大な実害を及ぼすに到って、いまさらながら、西郷南洲の

 大人人を愛し己を愛さず。己を愛するは宜しからざる事の第一なり。

と政府は、資本家や企業に厳しい政策をとると国外に退避するので、そうした政策は取れないというが、世界的な経済後退のこの時期、経済的欲望を満たすことにのみ関心がある者は、自己の財産の目減り分を他人から集金することしか考えないであろう。それは、富の格差を増長させることになり社会にとって決して望ましいことではない。むしろ、同じ経済人でも、ただ儲けるだけでなく、私利私欲よりも社会に貢献しようとする「決断」ができる持ち主にこそ目を向けるべきである。

 武道は、一言で言えば、「自分が正しいと信ずることに自分の人生を投じる決断力と実行力」の養成であり、「身を犠牲にしても良心が求めるところに従う」精神と技の鍛錬であろう。したがって、武士の習いは、日々、衣食住等の贅沢は慎み、趣味嗜好は避け、質素質朴に努めて心を重んじ、いざというときに自己の良心に基づく決断が鈍らないように心がけるというものであった。

 世界の富は有限であり、自由な個人資産の獲得競争が社会を豊かにするはずがない。だからこそ、利益に執着せず良心を貫く武道の修練は社会的意義がある。過度な自己利益の追求が世界的混乱をもたらした現代こそ、良心に従い身を賭して行動することを決断できる武士道精神の人物が望まれる。このような人は、社会に蔓延する欲望の邪気を祓(はら)い、人々の良心を目覚めさせ、国家国民の正気を取り戻す使命を担うであろう。(あ)

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