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コラム「大和心」

 


 勝海舟や高橋泥舟と並び称され、幕末の三舟と畏敬された山岡鉄舟。海舟からは「武士の代名詞」とも「真の日本人の標本」などとも評された。

 その鉄舟の事蹟をしのび、人物研究を続けている鉄舟会の面々が先般、明治神宮に参拝され、至誠館を訪ねてこられた。当然に当館の古流剣術を披瀝し、武士道論が語られ、意義ある一日となった。

 鉄舟の武士道実践と剣術鍛錬については、10年前に至誠館教本として発刊した『武道の精神探求』に「山岡鉄舟 必死真剣の精神力」があるが、武士道論からいえば、万延元年、鉄舟25歳の時に記された「武士道」、そして晩年、明治20年に籠手田安定男爵を記録者として文学博士の中村正直、陸軍少将の山川浩、文部大臣の井上毅や仏国法学博士のボアソナード等に語った「武士道講話」があり、昭和4年黒龍会発行の『高士山岡鉄舟』に摘録が収録されていて貴重な資料となっている。

 また角川選書から出ている勝部真長編の『武士道』は、この籠手田記録に勝海舟の評論を加えて安部正人がまとめたもので、武士道待望論が喧(かまびす)しいにもかかわらず新渡戸稲造の『武士道』のみしか目に付かない出版物の中で大いに推薦したい書物であるが、ここでは書物の紹介のみとし、鉄舟の経歴と、いかにも剣豪・鉄舟らしい最期の場面のみを記しておきたい。

 まず鉄舟の経歴を簡単に追うと――。

 10歳のとき父が飛騨郡代となり飛騨に移ったがその地で父母を失い、嘉永5年、江戸に帰り、安政2年槍の師である山岡家を継いだ。

 同年講武所に入り千葉周作の推薦により世話役を勤めた。文久2年幕府が浪士募集(新徴組)を行った際に浪士取締役を命ぜられた。明治元年3月精鋭隊頭を拝命、翌4月大目付を兼ねたが、これより先3月討幕軍参謀西郷隆盛を駿府に訪ね、徳川家救済と江戸開城への道を開いた。

 この時の維新政府に求められて書いた彼自身の報告書が「戊辰の変余が報国の端緒」(明治2年)で、明治15年の「西郷氏と応接之記」を併せて読むと、西郷が遺訓で「生命も要らず、名も要らず、官位も金も望まざる者は禦し難きものなり。然れども此禦し難き人に非ざれば、艱難を共にして国家の大業を計る可からず」と述べた「禦し難き人物」の何たるかが窺われ、学問あるいは教室武士道ならぬ生きた武士道が実感できて鼓舞されるところ大である。

 明治維新後は、静岡藩権大参事をはじめ新政府に出ているが、明治5年に侍従となり、20歳になられた明治天皇の側近として同15年まで10年間仕えて大帝と仰がれる御人格の形成に尽くしている。

 幼少より剣、書に親しみ、千葉周作の門に入って真影流を極め、無刀流を案出して春風館を開いた。(『明治維新人名辞典』吉川弘文館より)

 この春風館の荒稽古は有名で、鬼鉄(鉄舟の異名)ならではの武道修練のさまが窺えるが、修練が激しくて人材が継続しなかった感もある。



 

 奇しくも鉄舟の命日は7月19日で、享年53歳、今でいう胃癌で歿しているが、武士道を髣髴させるみごとな最期である。

 黒龍会の『高士山岡鉄舟』によれば、死期を悟ると入浴し(逝去2日前の7月17日)、白衣を着し、皇城(こうじょう=皇居のこと)に向かってうやうやしく礼を終わらせて、子供たちの通学、夫人の琴の稽古、門人らの撃剣は平常どおり行わせながら日々の修練を怠らなかった。刀架(かたなかけ)にあった白刃を抜き放ち、常の如く組太刀5点をつかいながら傍人を顧みて、
 「平生と変わらぬ」
と微笑せられた、という。死ぬまで戦う姿勢を失わなかったといえるだろう。

 同書による「居士(鉄舟)の薨去」の条は次のごとくである。


 19日の暁方、居士は千葉立造(医者)に向ひ、

 腹張って苦しきなかに明烏(あけがらす)

 の句を示し「まあこんなものですな」と云はれた。


 然るに午前9時に至り、立造に「暫時人拂ひをして呉れぬか」と云はれた。「どう為さいますか」と訊くと「なに昼寝の邪魔になるから」と云はれる。立造は直ちに一同を別室へ遠慮させた。すると居士は徐(おもむろ)に身を起こして衾褥を離れ、皇城へ向かって結跏趺坐(けっかふざ)し、須叟(しゅゆ=しばらくの間)にして右手を差出された。立造即ち其の意を察し、傍らに在った団扇(うちわ)を捧げた。居士之を把(と)り瞑目しつつ、其の柄で左掌(てのひら)に何か字を書いて居られたが、急に呼吸が促進して来た。立造は直ちに薬を薦めたが、最早之を服するの余裕なく、ついに9時15分、露も乾きて朝顔の花の凋(しぼ)む比ほひ(ころおい=頃)、居士は溘焉(こうえん=急に)として薨ぜられた。

とある。まさに武士道を地で行った生涯といえる。武士道は言葉、理論というより実践、実行にこそ重きがある。戦闘者の武士道にこそ、その真価が見えるが、現代に求められる武士道とはいかなるものであろうか。

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