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コラム「大和心」

 


我善く吾が浩然の気を養う。
その気たるや、至大至剛、直を以て養いて、害すること無ければ、
則ち天地の間に塞(ふさ)がる。
義と道とに配す。これ無ければ、飢うるなり。

――孟子

 前号で、南宋の文天祥の「正気ノ歌」とそれに鼓舞された藤田東湖の「文天祥ノ正気ノ歌ニ和ス」を引用して、いろいろの悪気を払う正気についてふれたが、その精神の源をたずねれば、中国戦国時代の思想家の孟子(前372〜前285)のいう「浩然の気」にさかのぼるが、この気については少しく説明が要るだろう。しかもこの言葉の大切さについては、幕末維新の志士吉田松陰が門人に孟子を講義した時に「この一節最も詳(つまびらか)に読むべし」と力をこめている章なので、重ねて取り上げてみたい。

 「浩然の気」という言葉は、孟子が公孫丑(こうそんちゅう)という弟子の質問に応答する中で出てくる。

 先生が小にしては諸侯の旗頭となり、大にしては天下の王となったとして重大な責任を引き受け、重要な任務を実行される場合、恐懼されたり、或いは疑惑されたりして心を動かされることがありませんか、と尋ねられると孟子は「我四十にして心を動かさず」と答えるところから、心を動かさない二人の勇者、北宮黝(ほくきゅうゆう)と孟施舎(もうししゃ)の勇気を養う法の特徴を語る。

 どちらが勝っているか知らないがといいつつ、北宮黝のは務めて人に敵し、その求める所が外にあって人に在り、孟施舎のは専ら己を守ることで、その求める所が内にあって己にある、とのそれぞれの要点を指摘しながら、孔子の弟子の曽子が、その弟子に伝えたという大勇について述べている。これが有名な「自ら反して縮(なお=正直であること=)ければ、千萬人と雖も吾往かん」という気概である。


 そこで公孫丑が先生自身の修行の方法を尋ねると、孟子は「我善く吾が浩然の気を養う」と答えるのだが、さらに「では浩然の気というのは一体どのようなものを指すのですか」と重ねて質問されると、孟子は次のように答える。

これを言葉に出して説明することは、誠に困難である。しかしその本体を言うと、分量は至りて広大(至大)で限りなく、又至りて堅固(至剛)であって屈し撓(たわ)ますことの出来ぬものである。そしてこれを養成するには、平生自ら反省してその心常に直くして義理に合し、その直き義理を以って養成して傷害する所が無いなればその至りて広大に、至りて堅固なものは自然に拡大して、天地の間にも充ち塞(ふさ)がるに至る。

 さてこの浩然の気というは、正義と天理人道と配合して一体となり、義として為すべき所は、此気が之を助け、道の行なわねばならぬ所は、矢張此気が之を助けてゆくものである。もしも此の気が無かったら道義も気に助けられないから、たとい道義を行おうとしても一体気が飢え乏しくては、何事も為すことが出来ない。(『孟子新解』国語漢文研究会編)


 と。この辺の表現は、孟子も「云い難きなり」と言うほどで、言葉での理解は難しいところだが、東洋的な精神思想から考えてみるだけでなく、武道でいう勇気の養成と限定しても考えておくべき重要な事柄なので、松陰の『講孟剳記』(こうもうさっき)からその解説をみることにしよう。これも平易ではないが、凛とした松陰の精神気概が伝わってくる。

 剳記は、松陰が萩の松下村塾で子弟を教育したときに孟子を素材に自らの思想を述べたものだが、講義にあたって「経書(中国の聖賢の述作した書)を読むその第一義」について、「聖賢に阿(おも)ねらぬ(追従しない)こと要なり」との松陰の教えがある。もし少しでもおもねる所があれば道はあきらかにならず、学んでも利益はなく害がある、というのである。この経書を読む場合の精神姿勢を念頭において、以下の一節を味読するとよいだろう。


 至大至剛、直を以って養いて害することなければ、則ち天地の間に塞がる

 この一節、最も詳(つまびらか)に読むべし。「至大」とは浩然の気の形状なり。此の気の蓋(おほ)ふ所、四海の広き、万民の衆(おほ)きと云へども及ばざる所なし。豈(あに)大ならずや。然(しか)れども此の気を養はざる時は、一人に対しても忸怩(じくじ)として容れざる如し。況(いはん)や十数人に対するをや。況や千万人をや。蓋し此の気養いて是を大にすれば、その大極(きはま)りなし。餒(だい)してこれを小にすれば、その小亦極まりなし。浩然は大の至れるものなり。

 「至剛」とは浩然の気の模様なり。「富貴も淫する能はず、貧賤も移す能はず、威武も屈する能はず」(文天祥の正気ノ歌にある一節)と云ふ、即ち此の気なり。此の気の凝(こ)る所、火にも焼けず水にも流れず、忠臣義士の節操を立つる、頭は刎(は)ねられても、腰は斬られても、操は遂に変ぜず。

 「至大至剛」は気の形状模様にして「直を以って養ひて害すること無し」は、即ち「其の志を持し、其の気を暴(そこな)ふこと無し」の義にして、浩然の気の養ふの道なり。

 「其の志を持す」と云ふは、吾が聖賢を学ばんとするの志を持ち詰(つ)めて、片時も緩(ゆる)がせなくすることなり。学問の大禁忌(きんき)は作輟(さくてつ)なり、或ひは作し、或ひは輟(や)むることありては、遂に成就(じょうじゅ)することなし。故に片時も此の志を緩(ゆる)がせなくするを「其の志を持す」と云ふ。

 「直を以って養ふ」と云ふも同じ工夫にて、平日する所、悉(ことごと)く直道(ちょくどう)に外(はづ)るることなくして、是を以て此の気を養育することなり。

 「其の気を暴(そこな)ふことなかれ」と云ふは、即ち「害すること無し」と云ふと同じ。害すると云ひ、暴ふと云ふに二様あり。一は私欲を肆(ほしいまま)にし、直道を以って志を持することを忘るる時は、自ら省みて愧(は)づる所あり、大に気を暴(そこな)ひ害するなり。二は浩然の気の至大至剛は、為す所道義に合ふよりして、自ら生ずるものなり。然るに道義に合ふと合はぬをも考へず、向見(むこうみ)ずに大と剛とをなさんとする時は、一時は我慢血気にて狂暴粗豪を以って剛も大もなすべけれども、遂には愈(いよいよ)自ら省みて愧(は)づる所あり。

 「天地の間に塞がる」と云ふは、其の効験(こうげん)を云ふなり。浩然の気は本是天地間に充塞(じゅうそく)する所にして、人の得て気とする所なり。故に人能(よ)く私心を除(のぞ)く時は、至大にして天地と同一体になるなり。今、吾れ一言一行の細よりして、浩然の気は古来聖賢相伝えて、孟子に至り発明する処、学者に於いて最も切実なること故に、特に是を詳(つまびらか)にす。(『講孟剳記』吉田松陰著、近藤啓吾全訳注)

  この講義録が書かれたのが、26歳の時。4年後に安政の大獄で処刑された松陰の至大至剛の気は“身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留めおかまし大和魂”との辞世の句にも表れた大和魂に発する正気ともいえるもので、南宋への忠節を曲げず同じく獄中に斃れた文天祥の正気に優るとも劣らない大勇が秘められているように感ぜられる。

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